身体は遺伝子の乗り物

村上春樹の小説を読んで遺伝子のことを考えました。

この身体は遺伝子の乗り物だと思うことがあります。遺伝子に操作され、遺伝子のしたいように身体が動くようになっているわけです。だから、運転のうまい遺伝子が生き残り、運転の下手な遺伝子は滅びます。

私たちがこうして生き残っているということはそれなりに運転のうまい遺伝子たちが私たちを操作しているのだと思います。だから、遺伝子の言うことに身を任せていればそれなりにうまくいくようになっていると思います。少なくとも生きることに執着を持った遺伝子たちであることには間違いないでしょう。そうでなければとっくに息絶えてるはずです。

同じような話は、ちょうど一年位前にも記事にしました。

改めて思うとつくづくそう思いますね。村上春樹の小説騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編を読んでいたら、また同じような表現が出てきたので思い出しました。

「この世界で何を達成したところで、どれだけ事業に成功し資産を築いたところで、私は結局のところワンセットの遺伝子を誰かから引き継いで、それを次の誰かに引き渡すためだけの便宜的な、過渡的な存在に過ぎないのだと。その実用的な機能を別にすれば、残りの私はただの土塊のようなものに過ぎないのだと」

引用元:騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編 P132

私の遺伝子は、私に遺伝子のことを書くように仕向けているらしい。これが全く何を意味するのか分からないのですが、きっと私の遺伝子にとっては意味のあることなのでしょう。

生き残るのが辛いこの世の中で遺伝子のことを考える余裕があるだけでも幸せなのかもしれませんが、自分が何をしていると幸せで、何をしていると辛いのかを知っておくことは大事だと思います。その自分の内なる声に耳をすますと、遺伝子の声がいろいろ聞こえてきます。

きっとその声に従って生きていけばよいのだと思います。彼らは長年の実績があります。

私の遺伝子は、次のようなことを私に語りかけてきます。

「お前はこれ以上サラリーマンとして生きていくのは無理だから、そろそろライフスタイルを変えた方がいいな。あんな命をすり減らすような生き方は俺には向いていない。早死にされちゃあ困る。だから、金をたっぷり貯めて、早くサラリーマン辞めることだ。なんかいろいろ方法あるらしいから今のうちに勉強して経験を積んでおいた方がいい。ちゃんとやるように脳みその方へは俺からも言っておく。あと、何かものを書く習慣もつけておくべきだな。とりあえず俺のことでもなんでもいいから書くんだ。それが後々役に立つことがあるかもしれない」

やれやれ、よくわからないな。でも君が言うくらいだからきっと正しいんだろう。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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