水を与えるものは金持ちになる

この世の中には二種類の人間がいます。ウォーターサーバーの水を換える人間と換えない人間です。

私の会社のオフィスにウォーターサーバーが導入され、その水は自分たちで換えるルールになっています。

空になったらその都度新しいものに取り換えるのですが、自分でやるとなるとちょっとめんどくさいし、やり方も最初はよくわかりません。

だから、自分の番で水がなくなったらその都度説明書を見ながら取り換えていたのですが、そんなことしているうちにあることに気づいたのです。

いつも自分の番で水がなくなるのは気のせいだろうか??

どうやらこの世の中にはウォーターサーバーの水を換えることができる人間とそうではない人間がいるようだ。

あかん、あかん、あかん。あかんではないか。

自分の目の前に立ちはだかるちょっとした障害を乗り越えられない人たちよ。

能力というか教育と言うかその人となりというか、なんというのでしょう。

もう習慣として染みついてしまっているものでしょうから、これを変えるのは相当意識しないと難しいです。

 

「あっ水なくなっちゃった、換え方よくわからないし、誰かが換えてくれるよね」

的な発想を持っているのだと思います。実に甘いね。甘すぎるよ。

その人は水を換える手間をかけなくて済むのでいいかもしれませんが、こうした行動を取る人は長期的に見て間違いなく損をします。

だれでもわかる説明書を読まず、行動できないような人には、資産運用はできませぬ。

例えば、NISAが新制度として導入された時、自らネットで調べたり、本で勉強したりする人たちは、おそらくウォーターサーバーの水を換える側の人間です。

こういう人は試行錯誤しながらも最終的には自分にとっての最適解にたどり着けるでしょう。

楽天VYMを毎月コツコツ積み立てればいいのね、と。そしてお金を増やしていく。

しかし、水を換えない側の人間は、何も調べずに投資はギャンブルと決めつけてせっかくの優遇制度を活用できない可能性が高いです。そしてお金を減らしていく。

この差は30年後、数千万円、あるいは数億円の差となって現れるでしょう。

本当にこうしたほんのちょっとした習慣の差で人生変わってしまうと思います。

目先のほんのひと手間をかけられるか、かけられらないか。

ほんのちょっとした障害を日々乗り越えられるかどうか。

こういうことが億万長者と平民を分ける試金石になるのかもしれません。

という漢文に出てきそうなお話でした。