幸せとお金の経済学を読んでみた

最近「幸せとは何か」について考えることが多くなりました。特に私の興味を引くのは、お金と幸せの関係です。多くの人は漠然とお金が多い方が幸せだと考える傾向にありますが、果たして本当にお金があれば幸せなのでしょうか。

本屋を徘徊するのが趣味の私は、こんな書籍と出会いました。

幸せとお金の経済学

幸せとお金の経済学

 

その中の思考実験がとても印象的だったので引用したいと思います。二つの思考実験があります。

一つ目の思考実験

自分は約110坪の家、他の人は約150坪の家に住んでいるAの世界

自分は約80坪の家、他の人は約60坪の家に住んでいるBの世界

 二つ目の思考実験

自分は1年に4週間、ほかの人は6週間の休暇がとれるCの世界

自分は1年に2週間、ほかの人は1週間の休暇がとれるDの世界

みなさんだったらどちらを選びますか?

私は、一つ目はBの世界、二つ目はCの世界を選びました。

本書によると、まさに私と同じ回答がほとんどを占めたそうです。また、一つ目の思考実験でAの世界を選んだ人でもBの世界を選んだ人の気持ちは理解できるということです。

住宅の絶対的な大きさがだけが問題ならば、当然望ましいのはAの世界のはずです。しかし、実際はBを選んだ人の方が多かった。ところが、二つ目の実験では、絶対的に長い休暇を望ましいと思う人が多かったのです。いったいこの違いは何なのでしょうか。

この実験からわかることは「人には相対的な消費が重要だと感じる領域がある」ということです。簡単に言えば、他人と比べてどうかが重要な領域があるということ。例えば、住宅について言えば、人と比べて大きいか小さいかが重要だと思う傾向が強いのに対し、休暇は人と比べてどうとか言うより、絶対的に長い方がよいということです。

本書では、地位財と非地位財ということばでそれぞれ住宅と休暇を表わしています。

地位財:周囲との比較により満足を得るもの

非地位財:他人との比較に関係なく満足を得るもの

つまり、住宅は地位財で、休暇は非地位財です。

相対的関心が強くなると、人はその地位を獲得しようと競争します。

これは、支出競争につながることを意味します。そして、その競争に勝つ(地位財にお金を回す)ためには非地位財を犠牲にする必要があります。非地位財が少なくなると、当然その分幸福度は下がっていくというわけです。

しかし、残念なことに人が一斉に動き出せば、常に相対的に優位に立つことは困難です。みんなが人より大きな家を建てようと動き出せばみんなの家が大きくなります。だから、地位財による幸福は長続きしないのです。そして、地位財にお金を回し続けた結果、その人には不幸な結末が待ち構えているというわけです。

幸せになるためには、この「地位財獲得競争」に巻き込まれないようにすることが重要です。しかし、これはそう簡単なことではありません。

なぜなら、進化の過程で序列を気にするというプログラムが人間に備わっている可能性があるからです。ほんとかどうかわかりませんが。。

だから、幸せになるためには、もしかすると神経系レベルの衝動?に打ち勝つ必要があるのかもしれません。消費する前に一度それが地位財なのか非地位財なのか考えてみてはいかがでしょうか。

本当の幸せを手に入れるには、非地位財を追求していく生き方が大事なのかもしれません。

幸せとお金の経済学

幸せとお金の経済学