「こんにちは」とエレベーターに乗っていた小学生から挨拶をされて、おじさんはなんだかうれしい気持ちになりました。
「あいさつをしよう」というのは小学生の頃から言われていたことですが、大人になってから見知らぬ人にあいさつをするのは少し勇気がいることです。
しかし、一緒に乗った小学生からあいさつされたことでハッとしました。よく考えればあいさつ自体は意味のないことばですが、人とことばを交わすだけで人は嬉しくなるということを思い出させてくれたのです。
あいさつのタイミングや方法などは環境によってさまざまです。
例えば、アメリカに行くとコンビニとかスーパーで買い物する時もあいさつや簡単な会話を交わすことが多いです。
中国でも「ご飯食べた?」なんていうあいさつもあるようです。
他には登山をするときはすれ違うときにあいさつをすることもあります。これは香港でも「早晨(Zhou San)」(おはよう)というあいさつをすれ違う度によく交わします。
つまり、あいさつというのは万国共通で人間にとって必要な行為のようです。
なぜあいさつが必要なのでしょうか?
それはあいさつが相手の存在を認める行為だからだと思います。
自分があなたの敵ではないことを示し、同じ領域にいることをお互い認め合う行為です。
これにより人は安心感を得て、心強くなり、なんだか嬉しい気持ちになる。
あいさつの必要性は人間の本能に直接働きかけてくるもののように思えます。人間の進化に大きくかかわったのではないでしょうか。
つまり、あいさつに意味を見出した種が生き残った説です。
そういう種がより高度な社会性を身に着け、新たな環境に適応し、進化した。そして、あいさつを言語や芸術という形に洗練させ、文明を築いた。
これは今でも通用するのかもしれません。
つまり、あいさつができる子供は生存する(社会で成功する)可能性が高いということです。
先人たちはそのことを知っていたからこそ子どもたちに「あいさつをしよう」と教育したのではないでしょうか。
今でもその目標は残っているけど、なぜそれが必要なのかについてはあまり教えられていない気がします。
先日新しく引っ越したマンションで交流パーティーがあり、そこであいさつの意味について考えさせられる機会がありました。
恐らくその土地に昔から住んでいると思われる年配の男性がこういいました。
「新しいマンションだからみんな知らない者同士なんですよね。だから、エレベーターで会ったらみんなであいさつをしましょう。そうしてみなさんでいっしょにこのマンションを住みやすく、より資産価値のあるものにしていきましょうね」
あいさつは人と人とを結びつけ、よりよい環境を作り上げる。
多分昔からそうやって人間は生き延びてきたのでしょう。
あいさつがあいさつを呼び、その社会をより強固なものにする。あいさつこそが人間の進化を促したイノベーションだったのかもしれません。