楽しめ信仰

楽しめって人に言われたからって楽しめるわけではない。

私の趣味の長距離走をやる時だってそうだ。

私は友達が少ないのでそういうコメントが私に寄せられることはまれだ。

しかし、ランニング仲間のSNSとかを覗き見ると何かの信仰かと思う位、みんな楽しめ楽しめと連呼している。

「レース楽しんでね!」

違和感を感じる。

好意を持ってかけている言葉であることは分かるが、この楽しめ信仰に私は辟易する。

こっちは好きでやってるんだから、別に人に楽しめと言われる筋合いはないし、楽しいことばかりではない。

そもそも楽しみだけを求めているわけではないのだ。

人に楽しめって言われても自分が楽しくないものは楽しくないし、人が楽しくないと思っていることでも、自分が心惹かれてハマってしまうことはいくらでもある。

僕の趣味だって理解をしてくれる人は少ない。

大抵の人はなんでそんなことするの?と思うはずだ。

だから、楽しめという人は、どういう意味で使っているのか?とつい考えてしまう。

今回のレースだって苦しいし、気持ち悪いし、痛いし、暑いし、寒いし、眠い。

標高3000m近くになるとさすがに空気は薄くなるし、常に息が切れて苦しい。

晴れれば直射日光が容赦なく襲い、雨が降れば痛い程の雨粒が身体を強く打ち体温を下げる。

両足がつったと思ったら脇腹がつり、地面でのたうちまわることだってある。

あまりの疲労感や眠気で幻覚を見ることは日常茶飯事、時には視力が低下し、視野が狭まり視界がぼやける。

こんな極限状態で、ははっ、楽しいな、楽しいな、ほほほ、となっていたら、それは死に近づいている確かなサインだ。

雨でぬかるんだ山道で転倒し、身体の左半身が泥にまみれて、ほほほ、愉快愉快。と楽しめばいいのだろうか。

違う。

大自然の前に人間の脆弱さを思い知り、普段立ち入ることのない領域に足を踏み入れる。

それこそがウルトラトレイルレースの醍醐味であり、それは楽しむという言葉では解像度が低すぎる。

だから僕は他の人が何かに挑戦するときに気軽に「楽しめ」とはなかなか言えない。

楽しむことがその挑戦の目的であるかも分からないし、それは無責任な発言のような気がするからだ。

確かに楽しいに越したことはないし、人生楽しんだもの勝ちだというのも合っていると思う。

でもだからといってすべてを楽しもうとする必要は全くない。

そして、それを人に押し付けてはいけない。

だから、もしあなたの友人が何かに挑戦しようとするときに気軽に「楽しめ」というのはやめておいた方がいいと思う。

そこはできる限りの想像力を駆使してオリジナルな言葉を絞り出してほしい。

僕ならこう言うだろう。

グッドラック。