僕はいつものバーでジャーシーボーを飲んでいた。
階上から聞こえてくるのは、フィリピン人バンドが奏でるマルーン5のシュガー
終わりがないハッピーアワー
すぐに消えゆくグラスの泡。
外は蒸し暑く、夜なのに30度を超えていた。亜熱帯の湿った風がグラスの下に大きな水たまりを作っている。
このバーでは、新鮮なオイスターを食べることができる。大きなボールに敷き詰められた氷の上のオイスターは、まるで枯山水のようだ。
新鮮なオイスターにレモンを絞り、冷えたジャーシーボーで喉を潤す。
悪くない。これが唯一の楽しみだ。
僕はたいてい最後までオフィスに残り、無駄な仕事を片付けていた。こんな仕事をやる意味はあるのか、、
毎日休みなく岩を転がして山頂まで運び上げる。
しかし、一たび山頂まで達すると、それ自体の重さでまた下まで転がり落ちてしまう。
転がった岩に轢かれるものもある。
そして、また麓から岩を転がして、山頂を目指す。
サラリーマンは、この繰り返しだ。
しかし、意味があろうとなかろうとこれが仕事だ。これをやればお金が貰える。お金を稼ぐことは意味がある。
ベーリング海でカニを取る漁師の如く、ぼくはここで人民元を稼ぐことに決めた。
カネさえ手に入ればいいのだ。
メールの返信を全て済ませてから、オフィスを出る。
そして帰りにバーに寄ってオイスターを食べる。
ここがわたしのアナザースカイ。
バーを見渡すと、若いカップルで溢れていた。
beauty and the beast
あれは果たして、彼氏彼女の関係なのか。二人は席を立ち、仲睦まじそうに手を繋いで店を出ていった。
「Cheers!!」
奥の席からは賑やかな歓声が聞こえてきた。
美女と美男のグループで、高そうなスーツを完璧に着こなしている。
IT関連の人たちだろうか。
いや外資系銀行の人たちだろう。
ここはオフィス街で多くの銀行が立ち並ぶ。彼らの見た目は明らかに洗練されていて、まるで僕とは別の種族であるかのような気さえしてくる。
遺伝子は強力だ。
彼らをじっと見ていると、そのうちの一人の女性が僕の方をちらりとみてきた。慌てて僕は目を逸らした。
店員がシャンパンの入ったバケツを奥の席へと運んでいく。続けて、もう一人の店員がショットグラスをトレーに乗せて運んでいく。
そして、僕らの視界は遮られた。
湿ったクラッカーを齧り、ぬるくなったジャーシーボーを飲み、深いため息をつく。
手に取ったグラスから滝のように滴り落ちた水滴が太ももを容赦なく濡らした。
僕はこのバーで人を眺めるのが好きだった。
ここに来るとなぜか心が落ち着いた。
みんな元気で、躍動感がある。
生きているという実感がある。
そして僕は死んでいる。
いつまでここにいるのだろうか。
酔いのせいか周りの世界がぼやけてくる。
僕は俯き、濡れた太もものシミを眺めながら、何かが近づいてくる気配を確実に感じ取っていた。
誰かがこちらに向かってきている。
僕の方に向かってきている。
コツコツコツコツコツコツ。
コツコツコツコツコツ。
コツコツコツコツ。
コツコツコツ。
コツコツ。
コツ。
コ。
ツ
。
だれだ?
さっき目があった彼女だ。
少し身構える。彼女の目的地は僕だった。
「你是日本人吗?」
「、、、是的。。」
彼女はとてもチャーミングな笑顔を見せた。
「哦、你会说中文、私も、少し日本語話せます、少し、一点点」
彼女は僕の許可を得る前に隣の席に座った。
beauty and the beast
とてもいい香りがする。同じ位の年齢だろうか。化粧はほとんどしてないがとても健康的で美しい肌をしている。
彼女は質問を続けた。
「しゅっちょう?」
「いいえ、もう3年位住んでます」
「おぉ、そうですか、今ひとりか?」
「はい、、僕は一人です。会社の飲み会ですか?」
「そう、みんな、会社の部下」
「部下?みなさん素敵な人たちばかりですね」
「そうか、一緒にのむか?」
「いや、いいです、、」
もう一人の女性がまた席にやってきた。あれが部下なのだろうか。
彼女もまた抜群にスタイルが良い。
「Joanna, tequila 来了,开始吧!」
「等一下、我想跟他一起喝酒」
「没问题、你认识他吗?」
「好吧、ねぇ一緒に少し飲まない?あなたの名前は?私はジョアンナ」
「僕は、、牛です、、」
「牛?太牛了!哈哈哈」
これが彼女に初めて会った日だった。
奥の机に整然と並べられたショットグラスとライム。
コルクを抜く音が心地よく、身体の芯まで響き渡った。