私は遺伝子の指示にしたがって行動しているだけですが、どうやらいろいろと平均的な基準から外れていることがあるせいか「何を目指してるの?」とよく聞かれます。
- 単語の学習って世界が広がる気がして心震えるよね
- 三重飛びをしている時、世界がゆっくり動くんだ
- 今日は無補給で70㎞歩こう
すると人はこう言います。
「何を目指してるの?」
そして、私はそう言われることに違和感を持つようになりました。
「別に何も目指してないけど、、」
そして、会話が変な感じになるから、人に趣味のことを話すのをやめました。
すぐに「何を目指している」のか、聞かれちゃうから。。
逆にインターネット上でそれを言うと、たまに理解してくれる人がいるのでこうして日記を公開しています。
私はただ遺伝子の指示にしたがってやっているだけで、特に何も目指していません。
そんなにみんな何かを目指しているのですか?
何かを目指さなきゃだめなんですか?
この目指したがり屋が!
世の中の多くの人は、自分がやらないようなことをやる人に対し、何かとてつもない夢や目標があるのではないかと期待を寄せるようです。
「世界大会で優勝したいんだ!」
こんな夢や希望があると人は安心するようです。
はい、洗脳。
そんなものは、ありません。
もちろん、中には明確な夢や希望があって取り組んでいる人もいます。
それは素晴らしいことで、それを否定するつもりはありません。むしろそれがうらやましいくらいです。
しかし、私はやっていることすべてに立派な夢や希望があるわけではありません。
ただ、やりたいからやっている。好きだからやっている。
それじゃあかんのかいな。
それだけでええじゃないか。
あなたのすべての行動が目標orientedになっていないように、私の行動もそうなのです。
コーヒーを毎日3杯飲んでいる人がいるとしましょう。
「何を目指してるの?」と聞きますか?
それと同じことです。
しかし、ランニングを毎日30㎞している人がいるとしましょう。
「何を目指してるの?」になっちゃいます。
そこで私がランニング中の振動や波長、秘められた世界からのサインについて話すと、もう多くの人はついてこれなくなります。
こいつやばそうだから話しかけるのやめとこ、となります。
このようなことをいろいろ考えた結果、「何を目指しているの?」の意味は、「なんでそんな変なことやってんの?」ということだと理解しました。
つまり、私から言わせれば、毎日文句を言いながら会社に行っているサラリーマンに「何を目指しているの?」と尋ねる感覚に近いのだと思います。
もちろん、夢や目標を持って、それに向かって努力することは大事なことです。
しかし、人の行動すべてに夢や希望があるわけではありません。
自分が楽しいからやっている、嬉しいからやっている、気持ちいいからやっている。
そういうものがあってもいい。
そういうものこそ大切にして生きていくべきです。
だから、無理に目標を掲げなくてもいいのです。
「何を目指しているのか」聞かれようと聞かれまいと、この自分が好きなことを淡々と続けていきましょう。
目標、目標、目標
こんな目標に毒されている社会が時折嫌になります。そして私たちもそれに洗脳されています。
「今年の目標は、目標を作らないことです。」
そんな一年があってもいいのではないかと思いました。