仕事のために外国語を学ぶのは辛い

外国語を学ぶ理由はいろいろあると思いますが、仕事で必要だから外国語を学んでいる人もいると思います。しかし、個人的には仕事のために外国語を学ぶのは辛かったです。

ちょっと自慢話になりますが、私はこう見えてサラリーマンを10年以上もやっていたことがあります。

昔の話なので、今もサラリーマンできるのかと言われたらもちろんできないんですが、私にもそういう時期はあったのです。

私が配属された部署は主に中国語を使って海外のお客様の対応をするため、私は中国語を使う必要がありました。

私は元々第二外国語で中国語を学んだことがあり、その中ではできる方でした。

しかし、いざ入社して配属されてみると周りには中国に留学した人はゴロゴロいるし、何なら中国人もたくさんいるし、自分の中国語は使い物にならないことが判明し、大変な思いをいたしました。

中国語をもっと勉強しなければならない。

私は情熱に燃え、中国語の試験を受けたり、中国語教室に通ったりして、運用力の向上に努めました。

その甲斐もあって中国語のスキルが上がり、当時勤めていた会社から中国に駐在するチャンスを頂くことが出来ました。

流石にここまでやってきたら中国語を使ってバンバン仕事ができるだろうと思っていましたが、世の中そんなに甘くはありません。

現地の中国語が全く聞き取れないのです。

教科書と全然違うやないか!

こうして中国でも自分の至らなさを再び痛感し、中国人スタッフとの交流や中国カラオケでのさまざまな交渉を通じて、より実践的かつハイレベルな中国語を身に付けていきました。

しかしながら、仕事をするだけでも疲れ果てており、それ以外にもさまざまなストレスがかかる環境下で中国語を勉強するモチベーションは暴落しました。

中国語を使うのが嫌というか、中国語しか使えない環境にいるのが辛い、と思えることもありました。

どんなに勉強してもネイティブ同士の会話を聞き取るのは難しいし、自分の言いたいことも思い通りには伝えられない。仕事の内容も専門的になればなるほど難しくなっていきます。

ついに中国語を勉強するのが嫌になりました。

仕事=中国語の式が成り立ったため、中国語=仕事、の式も成り立ちました。

中国語を勉強するのも仕事をしているような気がして、おうぇえええええええ、もう嫌や、こんなのは。。となった時期さえありました。

なんと悲しいことでしょう。

第二外国語として学んでいたときは、単語を覚えるのが楽しくて、少しでも自分の中国語が通じると嬉しくて、ドラマを見て意味がわかると心から感動していたあの時の自分はどこにいってしまったのか。。。

何事もそうですが、物事を継続させるためには自分の内なる声に従っていくのが一番です。

仕事で使うから外国語を学ぶ、というのは私の内なる声ではありません。どちらかといえば外からの表面的な動機付けに過ぎませんでした。

もちろんそれが大きなモチベーションになる人もいます。それ自体が自分の中から湧き出てくるパッションの人もいます。

しかし、私のように外側からの強制的モチベーションではいつか限界がきて、逆に今まで好きだったものが嫌いになってしまう恐れがあります。

外国語を好きで勉強をしていたのに、仕事で使うようになったらそれが嫌になってしまった。という経験は誰しもあると思います。

もちろん今は仕事では一切中国語を使いませんが、中国語のYouTubeやドラマを見たり、気が向いた時に中国語の試験勉強をしています。

これこれ、やっぱりこれや。

あの時の思いがふつふつと蘇ってきます。

今でも中国語聞き取れるぞ。

やっぱりそれくらいのテンションで外国語学習をするのが一番楽しいし、長続きしそうな気がします。

中国の方と話して意思疎通ができたり、中国語の小説が読めたり、ドラマの会話が理解できるのはやはり何歳になっても楽しいし、世界が広がる気がしてワクワクします。

仕事で必要だから外国語を学ばなければいけない人もいるでしょう。最初は頑張れても後から少しずつ辛くなってきます。

理想は趣味で外国語を学んでいて仕事でたまたま活かせるくらいがベストポジションではないでしょうか。

外国語を使って自分がどうなりたいか、どういうことができたら嬉しいか、ワクワクするかを想い浮かべてみましょう。

元々好きだった外国語学習が辛いときは一歩立ち止まってそこに戻ってみることをお勧めします。

外国語で小説を読みたい。

外国語で映画を楽しみたい。

海外に移住したい。

外国人の彼氏、彼女が欲しい。

そういう単純なモチベーションがやはり一番大切だったんだなと思いました。