人間という乗り物に乗って

なんで資産運用をしているのかと問われれば、人生の自由度を高めたいからというのが私の答えです。つまり、好きなことを好きなときに好きな人と(または一人で)したいからです。これらをするためには少なからずお金が必要になります。お金が多ければ多いほど、人生の自由度は高まるといってよいでしょう。でもこの欲求はどこからくるのか。

比喩的な言い方をすれば、私たちは人間という乗り物に乗って生きています。少なくない維持費(乗車料)がかかるこの乗り物は、嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、辛いこといろいろなことを体験させてくれます。もちろん可能であるならば、ずっと嬉しいことや楽しいことを経験していきたいと思いますが、なかなかそうは行きません。自分の好きなことをしていくためには、それなりの乗車料が必要になってきます。また結構複雑な乗り物なのでちゃんとメンテナンスをしないとすぐに壊れて動かなくなります。

さらにいつまで乗っていられるのかが分からないというのも問題です。自分でいつでも降りることは可能ですが、一旦降りてしまうと二度と乗車できません。もちろん楽しいことや嬉しいこと(悲しいことや辛いことも)を経験することもできなくなってしまいます。ですので、この限られた乗車時間をいかに充実したものにできるかというのが私たち課せられた大変重要なテーマとなるわけです。

この乗り物に乗ってどこに行くか。まずは維持費(乗車料)を稼がなければなりません。よく考えると変な感じです。人間に乗り続けるために、辛い思いをして働き、乗車料を払い、また働く。乗ってる意味がないからさっさと降りよう、と考えてしまうのも無理はありません。何のために働いているのか?時折人間に乗るためだけに働いているような気がしてきて残念な気持ちになります。やはり自分のやりたいことや好きなことが出来る場所に行って、この乗り物でしか味わえない体験をすべきだと思います。いつおろされるのかも分からないのですから。

しかし私たちは何を求めているのでしょうか。そもそもこの乗り物の乗り手は何者なのか。村上春樹の1Q84を読んでいたら面白い一節がありましたので引用します。

「人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道にすぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へのと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが、不幸になろうが、彼らの知ったことではありません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです。」

「それにもかかわらず、私たちは何が善で何が悪かであるかということについて考えないわけにはいかない」

『1Q84 BOOK1 P385』

なかなか考えさせられる一節です。自分が好きなこと、やりたいことは遺伝子によって支配されており、それをさせようと遺伝子は仕向けているわけですね。更にそのために資産運用をしようとまで考えさせるとは。でも遺伝子にとってそれはどんなメリットがあるのだろう?それは遺伝子たちに何をもたらすのか?

ふとそんなことを考えてしまいました。まぁでも遺伝子の支配からは逃れられないのだろうし、ちゃんとこれからも指令通りに資産運用も行っていきたいと思います。

君たちの言う通りにするよ、きっと正しいのだろうから。