To be in the right place at the right time

だれしも一度は「運が良かった」と思える出来事に遭遇したことがあると思います。もちろん、本当に「運が良かった」のかもしれませんが、実はそれは単なる偶然ではなく必然だったのではないでしょうか。

つまり、それは起こるべくして起こっているのです。その出来事だけを切り取っただけでは分かりませんが、それまでの過程をよく観察してみると幸運な出来事が起こる背景に、その必然性が浮かび上がってくることがあります。

松下幸之助続・道をひらく(PHP文庫)という本の中に今でも私の心に深く刻み込まれている一節があります。

チャンスをつかめと言っても、普通程度の努力をしていただけでは、チャンスをチャンスとして見きわめられない。やはり熱心であること。熱心な上に熱心であること。その熱心さがチャンスを見分ける眼を養っていくのである。

イデアを生むと言っても口先だけでは生まれない。これもやはり熱心であること。寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬよき知恵が授かる。アイデアは、人間の熱意、熱心に対する神の報酬である。 

出典:続・道をひらく(PHP文庫) 松下幸之助著 「熱心であること」P118

チャンスをものにするのは、常にある事をひたすら考え、目標に向かって努力している人です。目を半開きにしてぼーっと突っ立ているだけでは何も起こりません。たいていそのような人は何も考えず、運が良い、悪いで物事を片付けてしまいます。

では私自身はどうだったのでしょうか。たまに若い年齢で海外駐在できたことを運がよかったと言う人がいます。確かにそういった面もあると思います。しかし、今思えば大学時代に第二外国語の中国語を一生懸命勉強していなければ、中国で仕事をするチャンスは巡ってこなかったでしょう。自分が熱心になれることを一生懸命続けていると、ふとした瞬間にチャンスが舞いこんでくるものです。そして、そのチャンスをものにできるかどうかはそれまでの努力次第です。

高校の頃、経済的な理由で大学進学を諦めようとしていた友人がいましたが、彼には何としても大学進学するという強い意思がありました。大学に受かっても進学できるかどうか分からない状況にもかかわらず、奨学金に関するあらゆる情報を集めながら必死に受験勉強を続けていきました。結果として、大学の給費生試験に合格しただけでなく、条件の良い給付型奨学金も受け取ることができ、経済的な負担を最小限に抑えて大学進学を成し遂げたのです。

自分が熱心になれること、一生懸命になれることは何か。誰しも必ず一つや二つはあると思います。そしてそれを大切にしましょう。そのことを常に考えながら生きていきましょう。そうすれば思ってもみないチャンスがいつか必ずあなたに訪れるはずです。