私はボケ防止のために日本語、英語、中国語を学んでいますが、一つの勉強方法に凝っています。
それは筆写です。
筆者の勉強方法は筆写です。ってそういうことです。
まず語学学習の大前提として母語のリーディング能力が語学の天井です。
読めないものは、書けない、聞けない、喋れないです。
だから、母語の土壌を豊かなものにすることが外国語の学習及び発展に大きく寄与するのです。
じゃあどうすればいいのかというと日本語、外国語の大量のインプット、および大量アウトプットが必要になります。
これを両方とも成し遂げられるのが筆写というわけです。
特に最近苦労しているのが、英検のライティング対策です。やはり英語独特の表現とかこれぜったい自分じゃ作り出せない英文だなというものによく遭遇します。
それらをすべて取り込んでしまうのです。書くことによって。ひたすら書き写す。
平穏な朝、小鳥のさえずりとともに響く、ペンが机を打つ音。
さらに筆者は筆写をしながらつぶやきます。
もはやそれは外国語とは言えず、お経みたいなものなのですが、何か脳みそにはよさそうな気がしています。
小説家や著名な書き手の中には、好きな作家の作品を3回筆写した、などという強者もいるようですが、筆写という手法は、表現の引き出しを多く作る、言語における豊饒な大地を作り出すのに一役買います。
別に外国語を勉強するときだけでなく、日本語でも「これは素晴らしい」という描写に出会ったら、それを自分で筆写してみてもよいかもしれません。
試しに三島由紀夫の小説から引用してみましょう。
或る朝、夏子が朝食の食卓で、
「あたくし修道院へ入る」
と言い出した時には一家は呆気にとられてしばらく箸を休め、味噌汁の椀から立つ湯気ばかりが静寂の中を香煙のように歩みのぼった。
これは三島由紀夫のラブコメ作品です。
どうですか?たったこれだけでその場が凍り付いた「やばい感」を完璧に表現できています。
ぜひ興味がある方は読んでみてください。センスオブユーモアもたっぷり詰まっていて楽しめます。
村上春樹の「羊をめぐる冒険」はこのパロディ説もあるくらいですがどうでしょうね。個人的には全然わかりませんでした。
言葉の使い手になりたければ、筆写をする、というのは有効な手法の一つかもしれません。
私も「牛をめぐる冒険」を書くために、いろんな作品を読みまくって、書きまくっていこうと思います。
書き出しは参考にさせてもらいます。
或る朝、牛が朝食の食卓で、
「牛、サラリーマン辞める」
と言い出した時には一家は呆気にとられてしばらく反芻を休め、鼻の孔から立つ湯気ばかりが静寂の中を香煙のように歩みのぼった。
「牛をめぐる冒険」第一章 情熱家はここにいた(草案) より