私は以前どんな仕事をしていたのか(第2回)

「牛くんならいけると思ってたよ」

第1回はこちら

某新聞社の受験を後押ししてくれた友人というは、バイト先の3つ年上の大学院生のA先輩でした。

A先輩も同じ新聞社を受験していて、同じように最終面接まで進んでいました。

「こんなにうまく行くとは思いませんでした。最終面接まで行ったらほぼ決まりってことはないんですかね」

「どうやろうなぁ。最終では結構落とされると思うで。牛くん受かって俺落ちるとか十分あり得る。」

最終面接では、面接の前に健康診断を受けさせられました。採血なども行う一般的な健康診断です。

健康診断もやるくらいだからもう決まっているのでは?と思わせてきますが、やはり最終面接でも落ちる人は落ちるようです。

最終面接当日、健康診断を終えた受験生は小部屋に案内され、最後の面接を待ちます。

周りの人と顔を合わせ、お互い緊張しながら少し会話を交わしたことは覚えていますが、何のことを話したかは全く覚えていません。

唯一覚えているのは、前の受験生が面接部屋に入る前に気合を入れるためか知りませんが、

「うおおおぉぉぉ」

バシンバシンバシン

と咆哮しながら身体を叩いて入室していったことです。

そして、私の番がついにやってきました。

「うおおおぉぉぉ」

バシンバシンバシン

部屋の中には、受験生用の椅子が一つ、その前には明らかなボスキャラ面接官が6〜7人鎮座していました。

これまでに会った面接官もそこにいましたが、その最終面接の中では最も格下だったのか、司会進行みたいな役割でした。

その方もオーラのある方でしたが、最終面接のボスたちと比べるとやはりその影は薄れ、ボスたちの戦闘力の高さに私は戦慄しました。

面接内容は、いわゆる圧迫面接という形式でしょうか。何を言っても圧が半端ではなく、押し潰されました。

一生懸命頑張りましたが、私の知識不足も響き、ボコボコに打ちのめされて面接会場を後にしました。

あぁこれこそ完全におわたな。

後日、A先輩にも感想を聞いてみると、先輩もボコボコにやられたそうでした。

そういう面接をすることで、受験者の対応力を見る狙いがあったのだと思います。

選考結果は、指定された日に電話で来ることになっていました。

その結果を一人で待つのもあれだったので、A先輩と二人でマックで吉報を待つことにしました。

どんな結果になろうとも恨みっこなしです。

しかし、待てど暮らせど私たちの電話が鳴ることはありません。

「本当に選考結果って今日でしたっけ?選考に時間がかかって、実は明日になるとかありませんかね?」

「それはないやろ、、まだ昼過ぎやし、夕方くらいに電話くることもあるよ」

と諦めてかけていたその時、

私の携帯がけたたましく震え始めたではありませんか。

ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ

こ、こ、これは電話だ。

メールではない。

興奮した私は目の前にいるA先輩に即報告しました。

「A先輩、きました、きました、電話きましたー!出ますよ、出ますよ」

先輩は下を俯いたまま、頷いているように見えました。

興奮した私は携帯を手に取り、携帯を開くとそこには、、、

着信中 A先輩

「あっ」

「、、、牛くんのマジ顔まじウケたわぁ」

とA先輩は抱腹絶倒していました。

A先輩がいたずらで私の携帯に電話をかけていたのです。

それに飛び上がって興奮するほど、当時の私は某新聞社からの着信を待ち望んでいたということでしょう。

そんな中、今度は先輩の携帯が震え始めました。

「え、ちょ、待って、きたかもしれん。ちょ、静かにして。電話やわ。」

先輩が携帯を開き、画面をみると、即座に顔色が変わりました。

着信中 牛くん

「あっ」

という感じでお互いの電話を鳴らしながら、ふざけあって二人で某新聞社からの選考結果を待っていました。

しかし、そんな私たちの願いも虚しく、結局それ以降私たちの電話が鳴ることはありませんでした。

私たちは最終選考に落ちてしまったのです。

こうして私が新聞記者になる道は潰えました。

「牛くんどうするの、これだけしか受けてなかったんよなぁ」

「はい、これだけだったので、また別の会社探してみます」

またゼロから会社を探し、同じように選考を受けることを考えると目の前が真っ暗になりました。

履歴書とかエントリーシートとか面接とかめちゃくちゃだるいな、、

もう就活やめようかな。。

しばらくやる気が起きず、何もせずモヤモヤする日々過ごしていました。

それからしばらく経った後、その後のキャリアを決定づける求人を偶然見つけたのでした。