私がサラリーパーソン時代どんな仕事をしていたのか、気になっている方もいらっしゃるかもしれないので、何回かに分けて書いてみようと思います。
私は2008年入社なので、もしサラリーパーソンを続けていたら今年で16年目になります。
2つの会社で働き、2018年に辞めたのでこう見えて会社員生活は10年も続けたことになります。私はこのことを誇らしく思っています。
私が会社員になることを決めたのは遅い方でした。
大学時代は特に将来やりたいことがあったわけではなく、将来に関することといえばとりあえず教職課程は取っておくくらいのテンションでした。
しかし、私の大学生活にも色々あって教育実習など一部の単位が4年間で取れないことが判明し、教職の道が絶たれてしまいました。
このため、大学院に進学するか、海外留学してみるか、ニートになるか、働くか、という選択肢で悩んだ末、働くことに決めました。
やはり新卒カードは有効で期間限定です。他の選択肢は将来やりたい時にできると考えたのです。
働くといっても興味のある業種があるわけではありません。漠然とした興味があったのは、何かを書く仕事、海外で働ける仕事、教育関連の仕事です。
それでもなかなか就活のやる気が起きず、ひとまず某新聞社の試験を受けてみることにしました。
本来であれば数ヶ月前から筆記試験や面接対策などをして、数社は受けるのが普通なのかもしれませんが、私はその新聞社1社しか受けませんでした。
元々受けるつもりもほとんどなく、受けるのをやめようとすら思っていましたが、私の親しい友人から「牛くんならいけるかもよ、やってみたら?」と背中を押されたのがきっかけで受験することを決意しました。
一次試験は筆記試験でした。大きな会場に椅子と机がずらりと配置されており、その景色に圧倒されました。
あぁこれはおわたな。
今でも印象に残っているのは「消費」についての作文を書いたことです。ちょうどその時クールビズが流行り始めたころだったので、それと絡めて書いたことを覚えています。
クールビズが全然クールじゃない理由
諦めかけていたので、ちょっと冗談っぽくおもしろおかしく書いてみましたが、無事に一次試験を通過し、二次試験に進出しました。
二次試験は、記憶が確かではありませんが、私一人対面接官が複数人の面接でこれも無事に突破し、三次試験は、模擬記者会見みたいなものを見て、実際に記事を書くという試験でした。
今まで全く新聞記事を書く練習なんてしたことはありませんでしたが、見よう見まねでとりあえず記事を書きました。
その後の面接では「この書き方は陳腐だね」と面接官に言われたことを今でも覚えています。
あぁ、これはおわたな。
と思いましたが、「まぁでも全体的にはまとまってる」のフォローコメントに「いやこれはいけるんか」とモヤモヤが残る面接でした。
数日後、これも無事に通過したことを確認。
いつのまにかこの会社に行ってみたいという気持ちが強まってきていました。
こうして、某新聞社の最終面接へと駒を進めたのでした。