もし自分が新聞記者になっていたら、どんな人生になっていただろうか。
第1回と第2回はこちら
もしあの新聞社に入っていたら先輩には後藤さんがいて、弟子入りさせてもらってただろうなぁ、とか、相内アナとか秋元アナとすれ違うこととかあったのかなぁとか、色々な妄想が際限なく広がってゆきます。
新聞記者も辛いことや大変なことはたくさんあるとは思いますが、当時は漠然とした憧れはありました。
ひとまず私の就活において「書く仕事」に就くチャンスはなくなってしまったので、他の選択肢を模索することにしました。
「書く」のは将来自分でブログでも開設して、そこで好きなことを適当に書けばいいじゃないか、と思うようにもなりました。
そもそもなぜ「書く仕事」をしてみたかったかというと、自分の仕事が目にみえる形で残るのはいいなぁ、となんとなく思っていたからです。
もちろん自分の仕事を形にするには色々な方法がありますが、当時の自分で実現できそうなことは書くことでした。
新聞記事にも自分の名前が載るものもあり、ここに自分の名前が入ったらかっこいいと思ったのが、新聞記者を志望した理由の一つです。
昔から本を読んだり、自分の興味あることを突き詰めたりするのが好きな性格でした。
だから、その結果を記事でも本でも論文でも何でもいいから形にして残せる仕事はやりがいがあると感じていたのです。
仕事以外の将来の選択肢として、海外留学や大学院やニートも魅力的でしたが、いずれもお金が問題でした。
また、海外留学や大学院に行ったからといって素晴らしい就職が確約されているわけでもなく、就職をするなら新卒カードを活用したほうがよい、との結論にも達しました。
留学も大学院もニートもあとからいくらでもできる。お金が貯まってからやろう。
そこで、改めて就職活動に取り組むことにしたのです。
しかし、私は新聞社一社しか受験しておらず、他の準備も全くしていなかったのでゼロからのスタートです。その道のりは決して簡単なものではありませんでした。
すでに就活のゴールデンタイムが過ぎていて募集が少なくなっていましたが、その中で「海外で働ける仕事」と元々興味があった「教育関連の仕事」をベースに新たな募集を探すことにしました。
海外留学したかったのは、学びたいことがあるというよりは、ただ海外で生活をしてみたかったからです。
だから、働いてお金を稼ぎつつ、海外生活ができたら、それでええじゃないかと思い始めました。そんな簡単なものではないけれど。
まず候補になったのが、海外にも学習塾を展開する会社です。
海外の主要都市には、そこに住む日本人の子供向けの塾が結構あります。その会社の説明を読むと、将来的には海外拠点駐在チャンスもある、ということが書いてあったので、この会社が一つの候補になりました。
もう一つは、海外営業の仕事です。
海外営業とは、海外で製品を売る仕事です。
今は海外営業で募集するというのは少ないかもしれませんが、当時は海外駐在を前提とする海外営業枠で新卒を募集する会社がいくつかありました。
そのような会社は多くはありませんでしたが、海外生活をするという目的を達成するためには、この選択肢も悪くありません。
その中で一際目を引く募集を見つけました。
新卒給与:280,000円/月
え?
これは条件良くないか?
本当に280,000円なのか、注意深く確認し、それ以外の細かい条件を確認しました。
実は円じゃなくて、ウォンじゃないか、とか、よくみたらゼロ一個足りないとか、他の罠がないか、あらゆる条件を慎重に検討しました。
一連の検討作業を終えて分かったことは、ボーナスが出ない給与体系で28万円×12ヶ月ということでした。
そもそも入社1年目はボーナスはあまり出ないと聞いたことがあるし、いつまで続くかもわからないし、これはこれで結構良い条件なのではないかと判断しました。
しかし、私はその会社の名前を聞いたことがありませんでした。
就職活動をまともにしなかった世間知らずな私は、企業分析などもろくにせず、普段生活の中で目にする会社くらいしか知りませんでした。
海外営業といえば、製品を海外で販売する仕事ですが、扱っている製品を見ても何のことを言っているかよく理解できません。
製品のことを何も知らないのに営業の仕事なんかできるのだろうか。
そこで、メーカーで働いている父にこの会社のことを聞いてみました。
「父上、A社という会社の海外営業の職種に応募しようと思っているんだけど、この会社のこと知ってる?」
「知ってるよ、あまり知名度は高くないかもしれないが、業界では有名で業績もいいんじゃないか?」
「へぇ、どんな製品作ってるの?」
「半導体だろ?」