「今までありがとう、またどこかで会おう」
あらすじ
2007年、就活を始めた牛は、唯一受験した新聞社の選考に落ちて挫折。その後海外で働くことを志し、海外営業職の内定を得た。大学3年の時に他大学に編入し、卒論、授業、就活で忙しい日々を送っていたときのお話。
Tさんと別れたとはいえ、お互い連絡を取り合ってはいなかったので特に日常生活に何か大きな影響があるわけではありませんでした。
しかし、ナンパで彼女を失ったという衝撃は計り知れないものがありました。
そんなことが本当にあるのか。。
社会人の魅力なのか、専業主婦になれそうなのがよかったのか、実は電車でナンパされたのは嘘なんじゃないか、とか色々な考えが頭に浮かびますが今さらどうしようもありません。
彼女に借りていた本などを返しに彼女に一度会ったことがあるのですが、その時に彼氏がついてきていて一瞬だけ顔を見ました。
確か当時で30歳くらいで、おじさんではないけど大学生のような若さもないという感じで、あまり記憶には残っていませんが、うわぁ、、こいつか、、、と逃げるように帰ってきたことだけはよく覚えています。
そんなモヤモヤした生活が続き、卒論の指導教官の授業を落とすわ、完全に就活に出遅れるわ、教職の手続きミスるわ、授業は山ほどあるわ、で日々の生活は本当に辛かったです。
編入なんてしなければよかった、、と思うこともありました。
就活か進学か留学かニートか。
どうしよう。
ということでこのエピソードに舞い戻るわけです。
過去のお話を簡単に振り返っておきましょう。
進路について色々悩んだ挙句就活をすることに決めたが、唯一受けた新聞社の最終面接で散る。絶望の日々を過ごしつつ、半導体の海外営業の募集を発見。藁にもすがる思いで応募し、無事に内定獲得。
この最終面接で同じ大学のXさんと出会い、同じ会社に行くことになりました。さらにもう一人同じ大学のZくんとも出会います。この3人で同じ会社に行くことがわかり、将来に微かな希望が見えてきました。
普通の学生であれば、これで余裕をかますところではあると思いますが私は違いました。
私には卒業をかけた授業がまだ半ダースほど残されており、これを落とすと内定も取り消しになります。
絶対に負けられない戦いがそこにはある。
総合科目の日本国憲法のテストを今でも覚えています。
レポートであれば、それなりに頑張れば単位は得られますが、テストはワンチャンやらかす可能性があります。念のため、日本国憲法のテストの最後にこう書いておきました。
「この授業に私の卒業がかかっています。私なりに一生懸命頑張ったつもりですが、もし得点が足りていなかったら、なんでもやりますのでもう一度私にチャンスをいただけないでしょうか?」
最も警戒していたのは卒論です。
私のゼミの指導教官は厳しかったです。
指導教官の授業で私が「不可」をとったことからも分かるように、基準を満たしていないものは容赦無く切り捨てられます。
また、就活であろうが、なんであろうが、ゼミの欠席はマイナスの評価となります。就活で欠席が続くと「覚悟しておくように、、」というコメントがあり、ゼミ生は戦慄したものです。
まさか、卒論で落ちるとか、ないよな。。
私は前科があるので心配でした。卒論で単位を落として卒業できなかったらもうニートになろうと心に決めていました。
もう就活なんか無理だ。
卒論は定期的に進捗を報告し、指導教官から指導を受けます。
後期の最初の授業でそのフィードバックを受けるのですが、私は相当ナーバスになっていました。
優秀なゼミ生もボロカスにやられているのを見ていたので、あぁこれはもう完全に終わったと覚悟しながら、私の番になりました。
「牛くん、あなた日本語上手ねぇ」
「はい?」
「この調子で書き続けなさい。あなた日本語が書けないんじゃないかと思って心配したのよ。結構いるのよね、日本語を書けない学生が。でもあなたのは大丈夫よ、よく書けているわ」
なんとお褒めの言葉を頂けました。
内容はともかく、厳しい教官から日本語を褒められたのが嬉しかったです。
これで最難関を突破か。。
あまり大学の授業の成績で嬉しい、というのはありませんでしたが、卒論はいろんな意味でやりがいがありました。自分の興味のあることを突き詰める楽しさを少しは知ることができたような気がします。
私の大学では卒業が確定した学生は掲示板に学生番号が張り出されることになってました。
震えながら、掲示板を見に行き、自分の学生番号があることを確認しました。
あぁよかった。
これでようやく終わった。。
長くて辛い道のりでした。
失うものもありましたが、得るものもたくさんあったと思います。
あのまま同じ大学にいたらTさんとは別れなかっただろうか。一緒に中国に留学にいってたらどうなっていただろうか。。
一方で、編入していなかったら別の会社に就職していたかも知れず、そうなると中国に駐在できたかどうかもわかりません。。
やれやれ。
卒業式では、ロシア文学で有名だった学長のお話を聞きましたが、難しすぎて何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
学ばなければならないことはたくさんあることを痛感し、将来、お金を貯めてまた大学に戻ってこよう、という思いを強くしました。
卒業式が終わり、ホールの外に出ると、前の大学のサークルメンバーが待ってくれていました。
私は前の大学の野球サークルでキャプテンをやっていて、大学が変わった後もそのサークルを続けていたのです。
「おぉ、きた、牛さーん」
メンバーが駆け寄ってきます。
「本当にくるとは思わなかったよ」
「いやぁ、まちくたびれましたよ。じゃあ、あれ、行きますか、準備はいいですか?」
「お、おぉ、、」
私の両手両足がメンバーに掴まれて、担ぎ上げられる。
「お、落とすなよ、落とすなよ、、」
「わかってますって、へへへ」
バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ
私の身体は3回、ゆっくりと宙を舞った。