僕たちは今まで以上に中国語を一生懸命勉強し始めた。
あらすじ
2007年、就活を始めた牛は、唯一受験した新聞社の選考に落ちて挫折。その後海外で働くことを志し、海外営業職の内定を得た。入社後は中国語を使うことになるが、牛の中国語人生を変えた一人の女性との出会いを振り返る。
バックナンバー(中国語と彼女編)
Tさんとの出会いを振り返る。
僕とTさんは中国語の授業で出会った。
Tさんはおとなしそうに見えるが、性格は明るく、話をしていて楽しかった。
栗山千明と川島海荷を足して2で割ったようなチャーミングで利発な女の子だ。
中国語の発音もチャーミングだった。
そんなTさんに魅了された僕は、中国語の勉強を口実に大学近くのベローチェに誘う。そこでTさんと仲良くなり、良好な関係を築くことができた。
お互いの授業が終わった後に、大学で待ち合わせて、近くのベローチェに行っていろいろな話をする。
授業の話、バイトの話、旅行の話、そしてジャイアンの話。
Tさんにはジャイアンという彼氏がいた。
高校の時から付き合っている豪傑ジャイアンに勝ち目はないと僕は思った。
無茶してTさんとの関係を悪化させるより、現状の関係を維持しつつ、二番手としてチャンスの到来を待ち構えた方が良いだろう。
実に保守的な考え方だ。
もちろんそんなことは彼女には言えない。
どんな一流のプレーヤーも必ずミスをする。そこを狙うしかない。
ジムに通って筋肉に適切な負荷をかけ、身のまわりを清潔に保ち、余暇には中国語を勉強する。
規則正しい生活が成功の秘訣である。
一緒に始めた中国語検定の勉強は順調だった。
第55回(2005年3月実施)の4級はほぼ満点で合格できた。これは予定通りで、次の3級からが難しい。学校の授業でまだ教わっていない文法や構文を参考書で勉強していく必要があるからだ。
3級のレベルは一般大学の第二外国語レベル二年以上の水準となっているが、受験するタイミングではまだ一年ちょっとしか経っていないから格上の相手となる。
しかし、Tさんと一緒なら心強い。きっと合格できるだろう。
ちょうどこのくらいの時期に突然ジャイアンと別れたことも告げられた。
何が理由かは分からなかったけど、その後すぐに付き合うことはなく、そのままの暧昧な関係をしばらく続けていたような、おぼろげな記憶がある。
なんとなく、一般的に見れば、彼氏彼女の関係になっていたという感じだ。
大学も無事に1年が終わり、2年からは中国語は選択科目となった。
「ねぇ牛くん、一緒に中国語の授業取ろうよ。」
「(キュン)」
こうしてまたTさんに扇動されながら中国語の選択授業をたくさん取ることにした。
要領の良いTさんの指示通りにバランスよく授業を組んで行く。
同じ学科だったので、2年からは必修クラスの時間割がほとんど一緒で、全てがスムーズに運んだ。
1年の時よりTさんと会う回数も増えたし、中国語もどんどん上達していった。
中検の勉強も楽しかった。
本屋に行って、当時はまだそんなに多くなかった中検の問題集を一緒に物色し、お互い違うものを買って、後でそれを交換する。
わからないところは一緒に確認して、分からないなりに自分たちで問題を解決し、先に進んだ。良い時代だった。
この勉強のおかげで、第56回(2005年6月実施)の3級も無事に合格できた。この時はヒアリングとリーディングの合格点がそれぞれ65点に対し、ヒアリングが75点、リーディングが80点とそこまで余裕があるわけではなかった。Tさんはほぼ満点で合格していた。
「さすがだね、この調子なら2級も次いけるね」
「うーん、3級まではなんとかなるけど2級は無理かな、、」
「受けないの?」
「うん、受からない検定は受けたくないから」
2年次から取り始めた中国語の授業のレベルはさらに高く、充実していた。学生のレベルも今までと比べものにならないくらい高い。
学生たちは、先生からの質問に対してもペラペラ中国語で答え、その発音もまるで中国人のようだ。君たちどっからきたんや、、
聞くと、中国の山西省太原にある大学に1年留学したことがあるという。
大学では協定校への派遣留学制度があり、希望すれば中国の大学へも留学することができた。Tさんも僕もその留学に興味を持った。
自分たちの中国語はどのくらい現地で通用するのだろうか。
僕は一度北京へ北京へいった事があるが、その時よりももっと上達している。Tさんもずっと中国に行きたがっていた。
そこで、Tさんと中国へ旅行に行くことをダメ元で提案してみた。いきなりは無理でも今後のために意思表明くらいはしておいた方がよいだろう。
「今度中国に旅行に行ってみない?北京とか、、」
「え?行きたい、行きたい」
「え??行けるの?親とか反対しない?」
「うん、大丈夫だと思う。女友達と行くって言えば多分平気」
彼女は思い切りの良さも持ち合わせていた。
慎重なようで時折大胆な行動を取る。
こうして、彼女と初めて二人で北京に行くことになったのである。