私は以前どんな仕事をしていたのか(第8回)

無事に海外営業職の内定を得ましたが、それで安心というわけにはいきませんでした。

あらすじ

2007年、就活を始めた牛は、唯一受験した新聞社の選考に落ちて挫折。その後海外で働くことを志し、海外営業職の内定を得た。最終面接で一緒になったXさんも同じ会社で内定が決まり安堵したのだが、、

多くの就活生は、就活が決まれば大学生活はほぼ上がりと言って良いかもしれませんが、私はそうではありませんでした。

なぜなら、4年生になってもたくさんの授業があったからです。みんながそうだったわけではなく、私は取る授業が特に多かったのです。

もし単位を落としてしまったら、それは留年を意味します。留年=内定取消も意味します。

これはかなりスリリングです。

こうなった理由は、別の機会に書こうと思っていますが、とにかく私の大学生活は一般的な大学生とは違うものでした。

いろいろな経験ができてよかった面もありますが、その分大学生活がとても忙しくなってしまったのです。

今もたまに思います。

普通の大学生活を送り、普通に就活をしていたらまたちょっと違う人生を歩んでいただろうな、と。

商社とかにいって子供が二人くらいいてタワマンとかに住んでいたんじゃないか、と。

当時の私は4年生になってもほぼ毎日大学へ行き、朝から夕方まで授業に出ていました。

多くの大学4年生はほぼ授業がなく、卒論がある人はそれをちょろっとやるくらいのはずです。

一方私は1年生が取るような総合科目の授業にも出て、単位を落とさないよう先生の話を聞いていました。

周りは1〜2年生ばかりで気楽に話しかけられる雰囲気ではなく、試験前に「ノート見せて?」と言えるわけもありません。

この単位を落としたら内定が水の泡です。

絶対に負けられない戦いがそこにはありました。

不思議なもので、今まで全くXさんと会わなかったのに、大学でXさんにばったり会うことが多くなりました。

本当にXさんはこの大学にいたんだな、と。

何かの魔法や呪いでも解けたのだろうか。

内定が出るまでお互い別の世界を生きていたのだろうか。

ところで、私が内定を得ることができたのは、語学のおかげと行っても良いかもしれません。

英語と中国語を大学時代にちゃんと勉強していたことが内定にもつながった(と思う)し、入社後の中国駐在に大きく貢献したと思います。

就活時の語学スペックは、TOEIC930点で、中検は2級です。

内定した会社の選考に進む際にどのくらいの語学レベルが必要だったかは覚えていませんが、この二つの資格が役に立ったとは思います。

大学に入ったばかりの頃、TOEICは655点くらいでしたが、徐々に点数が上がり、大学4年の時に900点以上をコンスタントに取れるようになりました。しかし、そこで頭打ちになり就活までのベストスコアは930点でした。

中国語は、大学の第二外国語をきっかけに勉強を始めました。思いのほか中国語の勉強にハマってしまい、一般勢からするとちょっと引かれるレベルで勉強していたと思います。

中検は、第55回で4級(2005年3月)、第56回の3級(2005年6月)、57回の2級(2005年10月)と3連続受験し、3連続合格できましたがこれは周りと比べてかなり早かった方です。

これで中国語の基礎を固めることができたので、今思えばファインプレーです。

もちろん中国語で仕事をするならこれでは全然足りないのですが、中国駐在の機会を得ることができたという意味では意義のある学習だったと思います。

しかし、第二外国語でそんなに中国語ができるようになるのか、と。思われる方もいらっしゃるでしょう。

同じく第二外国語で中国語やってたけど、自分の名前とニーハオしか言えないよ。

なぜ私は中国語をこんなに頑張れたのか。

それは、ある日大学で一人の女の子と会ったことがきっかけでした。