私は以前どんな仕事をしていたのか(第16回)

私は大学2年の時に大学を退学しました。

あらすじ

2007年、就活を始めた牛は、唯一受験した新聞社の選考に落ちて挫折。その後海外で働くことを志し、海外営業職の内定を得た。入社後は中国語を使うことになるが、中国語を一生懸命勉強したのは、大学1年の時に出会ったTさんのおかげだった。しかし、大学2年の時に牛は大学を退学する。

バックナンバー(北京旅行の思い出)

ある日家から帰ると母から報告がありました。

「大学から電話がかかってきたわよ、大学を辞める話。念の為、保護者に確認を取ることになっているらしくて、、」

「あぁそうなんだ。これで全て手続きが完了したね。良かった。」

Tさんとの北京旅行の後も私は中国語の勉強を続けました。当時は中国語検定の4級と3級に立て続けに合格し、次の目標は第57回の2級(2005年11月実施)に合格をすることでした。

今まではTさんと一緒に中検に向けて勉強をしていましたが、Tさんはその回で2級を受検しないという判断をしたので、一人で勉強に励みました。

ここで2級を取れば、Tさんに認めてもらえるんじゃないかという思いが勉強のモチベーションをブーストしました。

恋愛というのは医療保険のきかない病のことだ。と言ったのは誰だか忘れましたが、語学の上達に効果があるのは言うまでもありません。

中国語を勉強してから1年半ほどで2級にチャレンジするのは流石に無理があります。

当時は2級対策用のテキストもほとんどなかったので、3級の内容を完璧にしつつ、過去問を入手して対策しました。

中国語検定の難しいところは、級が上がるにつれて難易度だけでなく、合格点も上がることです。

例えば、4級なら合格点が60点、3級なら65点、2級なら70点、準1級は75点、1級は85点という風になります。

2級を受験した時に私が取った得点はリスニングが65点、筆記は73点でした。

筆記は70点を超えたので無事に合格ですが、リスニングは合格点の70点を下回っているため、不合格となります。

しかし、中検には難易度に応じて合格基準点が下がる得点調整があり、リスニングの合格基準点が65点になったため、私は奇跡のぎりぎり合格を果たしたのでした。

年季の入った試験結果

久しぶりに見たら、すごい黄ばんでいてびっくりしました。

こうして無事に大学2年の終わりに中検2級に合格できました。

自分のラッパを吹いているようであれなんですが、常に中国語で負けていたTさんにも自慢できたので、とても達成感のある出来事でした。

「やる、やる、と聞いてはいたけど、本当にやるとは、、」

「まぁね、僕が本気になれば受からない試験なんてないのさ」

振り返ってみると、この2年間で中国語の土台をしっかり作ったことが将来の中国駐在につながりました。

中国駐在を通じて自分のキャリアを高め、高めすぎた結果、今の生活にたどり着きました。

Tさんがいなかったら、自分はきっとここまで頑張れていなかったと思うので、Tさんとの出会いに感謝しています。谢谢,T姐。

その年の終わりに、私は大学をやめました。

このことを事前にTさんにどこまで伝えていたかはよく覚えていません。

多分伝えていたとは思いますが、どのタイミングで報告していたかはもう分からなくなってしまいました。

「本当にすごくて尊敬するけど、離れ離れになっちゃうのはやっぱり寂しい、、」

みたいなメッセージを受け取って「あぁ」となった記憶だけは鮮明に残っています。

ところで、皆さんは大学をやめたことはありますか?大学をやめるのは思いのほか簡単です。

「すいません、大学をやめたいんですけど、、」

と、大学の事務センターに申し出ると、所定の用紙を提出するように言われ、先ほどのように保護者に連絡が入り、手続きは完了。

学部の部会で正式に承認されて、無事に退学が決定となります。

大学に入るのはそれなりに難しいですが、辞めるのはこんな簡単に辞められるのか、と拍子抜けするほどです。

サラリーマンもこのくらい簡単に辞められたらいいのに、と今は思います。

そもそもなぜ私は大学を辞めたのか。

それは行ってみたい大学が他にあったからです。

高校時代は白球を追いかけるのに忙しくて勉強ができず、私大文系コースを選ばざるを得ませんでした。

その大学は国立だったので受験すらもできず諦めていたのですが、3年次編入という制度があることをたまたま知りました。

3年次編入とは、修業年限4年生の大学で2年以上を修了している(専門学校修了も可)と出願資格があり、入学試験に合格すると3年次から入学を許可されます。

この試験はかなり難しくて倍率も10倍くらいある難関試験でしたが、試験を受けるだけなら受験料くらいしか失うものはないので、挑戦してみることにしました。

試験科目は英語のみ。

記述式の問題に加え、リーディングとリスニングとエッセイを融合したような設問もあり、高難度のエレガントな試験でした。

合格発表は試験から2ヶ月後くらいでかなり焦らされました。ちょうど中国検定の結果の後くらいだったと思います。

発表は今のようにWebではなく、大学の掲示板に合格者の受検番号が張り出される従来方式です。

合格発表の日に朝一で大学に行くと、掲示板には私の受検番号があることがすぐにわかりました。

私は何度も受験票と番号を確認しました。

結果はずっと気になっていて、合格発表のシーンが夢に出てくるほどでした。これも夢なんじゃないかと思いました。

飛び上がるほど嬉しい気持ち

どこか少し悲しい気持ち

両者入り乱れて、複雑な心境のまま、大学を後にしたのでした。