私は以前どんな仕事をしていたのか(第15回)

あの写真は今も実家のどこかにあるのだろうか。

あらすじ

2007年、就活を始めた牛は、唯一受験した新聞社の選考に落ちて挫折。その後海外で働くことを志し、海外営業職の内定を得た。入社後は中国語を使うことになるが、中国語を一生懸命勉強したのは、大学1年の時に出会ったTさんのおかげだった。そのTさんと二人で北京旅行へ行った時のお話。

バックナンバー(中国語修行編)

彼女(Tさん)との北京旅行で最も思い出に残っているのが、唯一二人で写真を撮った景山公園でのワンシーンです。

Tさんはこの北京旅行に女友達と行くと親には伝えていたようなので、私が彼女と一緒の写真が親に見つかるとめんどくさいことになります。

だから、二人での写真は撮らないように事前に取り決めていたのです。

「二人で一緒に写真を撮るのは禁止ね」

「わかった。証拠があるとまずいからね」

と言いつつも、景山公園の写真だけは一緒に撮って、二人でバレないように持ち歩いていました。

若かりし頃の甘酸っぱい思い出ですね。それが彼女と北京に行った唯一の証拠でした。

この写真はまだ実家のどこかにあるのだろうか。

すでに何かの拍子に処分してしまったか、どこか机の奥深くにしまいこんだまま忘れてしまったのかもしれません。

観光については、それ以外はほとんど記憶がありません。前回北京旅行をした時と同様に北京の観光名所を一緒に巡る旅をしていたはずですが、どれも断片的な記憶しかないのです。

写真がもうちょっとあれば思い出せたかもしれないのにな、、と思いましたが、後の祭りです。

Tさんはアイスが好きだったので、観光地でずっとアイスを食べていたことを覚えています。つねにアイスをペロペロ舐めていました。

ところで、忘れられない思い出といえば、なんといっても北京の夜のお話ですね。

みなさんも気になっていると思います。

お互い実家暮らしだったので、ご想像の通り、なかなか物事が思うように進みません。二人きりになれる機会はあまり多くなく、ホテルなどに行くお金もたくさんあるわけでもありません。

だから、旅行はこの上ない格好のチャンスです。日本を離れて海外にいるという設定も私たちを高揚させてくれました。

私は相当気合いを入れており、難忘的夜晩を共に過ごすべく、万全の準備を進めて参りました。

旅行前には、サガミオリジナルの当時最先端の技術を駆使したプロダクトをこっそり購入し、虎視眈々とその時を待ち構えていました。茂みに身を隠して獲物を狙うチーターのように。

そして、夜、ベッドで二人、横になって、旅の話をしながら、良い感じの雰囲気になります。

それはまるで背中をとんとんとつつかれ、泥の中での穏やかな眠りから目覚めたようだった。ひとつあくびをし、そろそろと頭をもたげ、まるでヨットが北西の方向から吹いてくる確かな順風を受けてキャンバスの帆を張るように、、

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そういうのって仕方のないことなんだ、とぼくは言葉を尽くしてきみに説明し、弁明する。それは大きな黒い犬みたいなものなんだよ。いったんある方向に動き始めると、もう手の施しようがないんだ。どれだけ強くロープを引っ張っても、、

街とその不確かな壁

私のスターシップが打ち上げに向けてカウントダウンを始めます。

3, 2, 1...

彼女が私の胸に頭を乗せてきて、私の顔をじっと見つめて、近づいてきました。

ついに北京でベローチェなのか、、

彼女は私の耳にキスをして、囁きました。

...0

「あのね、できないの。」

「え、できない?」

「あれなの」

「あれなの?」

「うん、、」

「あぁ、、」

こうして、私のスターシップは打ち上げ後に旋回して爆発してしまいました。

まるで餌を目の前に待てをさせられた犬のように、よだれを垂らしながらベッドの上でお座りをし、しばしの間茫然としていました。

それでも彼女と二人で過ごした時はかけがえのないもので、こうして今でも思い出せる良い思い出となりました。

「今後に向けて良いデータが取れました」

彼女もその北京旅行でさらに中国語の刺激を受けたようでした。

「あぁやっぱり中国いいなぁ、来年留学しようかな、一緒に留学いけたらいいね」

「うん、留学いいね。留学行きたいなぁ」

それから彼女は中国の提携大学への留学を申請し、翌年中国に留学することが決まりました。

私が大学を退学したのはちょうどその年でした。