私は新幹線に乗って西に向かいました。
あらすじ
2007年、就活を始めた牛は、唯一受験した新聞社の選考に落ちて挫折。その後海外で働くことを志し、海外営業職の内定を得た。大学3年の時に他大学に編入し、色々苦労しながらなんとか卒業。2008年4月に半導体の海外営業職として働き始めることになった。
私は就職と同時に初めて実家を離れることになりました。なぜなら、新人研修の場所が関西だったからです。
そこに行くために私は新幹線に乗っていました。
ついに始まるのか。。。
初めての一人暮らしや仕事に対する興奮と不安が入り混じり、複雑な心境でした。
その研修には新入社員が全国から集結し、全体研修を行った後、各職種に分かれて研修が行われます。
最初は営業職も技術職も一緒に研修を行い、1週間くらいでそれぞれの研修に分かれていきました。
当時は知る由もありませんが、リーマンショックの直前だったこともあり、就職はしやすい状況だったようです。
同期は全部で150人くらいいて、海外営業職は10名ほどでした。
研修の最初にTOEICと日経経済常識テストを受験させられました。
TOEICは得意分野ではありましたが、かなりナーバスになっていたことを覚えています。
海外営業職で採用されておきながら、他の職種に負けたら立場がないからです。
この結果によって配属先が変わったりしたら目も当てられません。
圧倒的な差で勝たなければならぬ。
そんな思いがより一層私を緊張させました。
TOEICの手応えは悪くはありませんが、結果が出るまで不安な気持ちでいっぱいでした。
そんな中、海外営業の同期の一人が人事からとある情報を入手してきました。
「人事からTOEICのスコアよかったって言われたわぁ」
「うわぁ、マジかぁ、どんくらいなんだろう」
「よくわからへんけど、900くらいは言ってるんちゃうかなぁ」
あぁ嫌だなぁ。
海外営業内部での戦いも始まっています。このスコアで配属先が決まったら嫌だなぁ、、
それから1週間もしないうちにTOEICの結果が知らされました。
私のスコアは、、
うおおぉぉぉ、来たぁぁぁ
と内心一人かなり盛り上がっていました。
ということでIPテストではありますが、この時のスコアが当時の自己ベストとなりました。
これは1位きたかもしれない。。
と調子に乗って、同じ大学のZくんのスコアを確認してみました。
「Zくん、TOEICどうだった?」
「970点だったよ」
「ぎゃふん」
私よりも高得点だったことが判明しました。
よし、じゃあ同じ大学のXさんに聞いてみよう。
950点あればワンチャン勝ててるかもしれない。
「Xさん、TOEICどうだった?」
「980点だったよ」
「ぎゃふん」
同じ大学のXさんはそれよりも高く優勝でした。
私は一刀両断されました。
暫定順位
1位 Xさん
2位 Zくん
3位 牛
うおおぉぉぉ、負けたぁぁ
と思いましたが、同じ大学で(おそらく)1、2、3位を独占できてたのはなんだか誇らしい気持ちもしました。というか彼らに続けてよかった、、さすがXさんとZくんだ。
研修が進むにつれて、あと1万回はそう思うようになりました。
ちなみに日経経済常識テストは149人中9位という結果で、研修序盤の筆記試験ではまずまずの結果を残せたと言えそうです。
ところで、半導体の営業は男性ばかりというイメージもあるかもしれませんが、働いていた会社では女性もかなりいて、私と同じようにほぼゼロから研修やOJTを通じて知識をつけていくことになります。
偶然か必然かわかりませんが、女性営業は基本的にAmazingな方ばかりで、あぁこれはそういうことなんだなぁと内心思ってました。
見た目もそうですが、コミュニケーション能力もずば抜けて高く、私のような非モテキャラは気をつけないとやられてしまいます。こちらも注意が必要です。
研修の頃はよくわかっていませんでしたが、会社は戦略的に女性営業を配置して営業活動を行なっているようでした。
確かに何もわかっていない若造が営業に来るより、可愛らしいお姉さんが来た方がおじさんたちは嬉しいに決まっています。
「まだ新人でよく分かってないんですけどぉ。。」
とか言われたらいろんなことを教えたくなるおじさんはいっぱいいます。
なるほど、そういうことなのか。
とても勉強になりました。
社会人になって初めての1週間が終わり、ようやく金曜日になりました。
同期と一緒に飲みに行くとか週末はお花見いこうとか浮ついた雰囲気が醸成されます。
トントン、と肩を叩かれたので振り返ると、
「ねぇねぇ、今日は花金だよぉ、飲み行こ!」
営業職のチャーミングなAさんでした。
やれやれ。
こういうことなんだよな。
楽しそうな社会人生活が始まりそうな予感がしました。