なぜ会社員をやるのが辛かったのか

私は会社員を10年ほどやっていたことがありますが、会社員をやるとどうも体調が悪くなるので、その道を諦めざるを得ませんでした。そこで、なぜ自分は会社員に向いてなかったのか考えてみました。

その理由を挙げればキリがありませんが、敏感すぎるというのがその理由の一つだと思います。

もうちょっというと、誰かの期待に応えようとすることに疲れた。ともいえます。

今回はそんなお話です。

私は次男なのでお兄ちゃんがいるのですが、上に兄弟がいるとそれを反面教師にして狡賢く生きる術を幼少の頃から自然と身につけるというのはよくある話です。

お兄ちゃんやお姉ちゃんがお母さんにキレられているのをみて「あぁなるほど、こうするとお母さんは怒るのか」というのを学んで、それをやらないようにする。

こうして弟や妹の評価が上がっていき、そのループが繰り返されていきます。

お母さんがキレてると家の雰囲気が悪くなるし、それだったら少し我慢してお母さんが嫌がることをやらないようにしよう。というのを子供ながら意識していました。

「お兄ちゃん、そんなことしたらまたお母さんに怒られるよ」

と子どもながら心の中でよく思っていたものです。

今でも初めて作文を書いた時のことをよく覚えています。

初めての作文は何を書いたらよくわからず、何を書いてもよいということだったので、拙い文章で「どうしたらお母さんは怒るのか」について淡々と書いて提出したら、それを保護者会で返却されるという大事件が起こりました。

先生は元々そういう計画だったようで、

「初めて作文を書かせてみたのですが、みんなよく書けていました。ぜひ読んでみて下さい」

的な平和なノリで親たちに作文を返却したのだと思いますが、それを知った時私は愕然としました。

うわぁ、終わった、、めっちゃ怒られるやないか、、、

しかし、思いのほかお母さんの反応はよくて「何書いてんのよ、恥ずかしいじゃない」と、とても嬉しそうにしていたのをよく覚えています。

小さい頃から、人がどうすると喜んで、どうすると怒るのか、ということについて、人一倍敏感だったのかもしれません。

年を重ねるにつれて、センサー性能を上げていき、この人は私に何をしてほしいのか、、というのを考えて、行動し、一定の評価を得ることもありました。

そのせいかわかりませんが、年の割には妙に落ち着いている、何を考えているかわからないとか言われることもよくありました。

この特性は、良い面も悪い面もあります。

例えば、中学時代の部活では大してうまくもありませんでしたが、顧問の先生が喜びそうな練習やプレーを粛々とこなして、試合に使ってもらうことができました。

さっきの「お母さん」を「顧問の先生」に置き換えて行動すればいいだけだからです。

一方で、人の言動が気になってしまい、おそらくこの人はこれに対してこう思っていて、こうして欲しいのかな、、とか色々頭の中で考えてしまう癖がついてしまいました。

特に会社にはいろんな人がたくさんいるので、その人たちのことを考えると大変でした。

その人がどう思っていて、何をして欲しいか、なんて他人にはわかるはずないし、それについて考えすぎることが無駄なことはわかっています。

それでも勝手にセンサーが反応してしまうのです。

わかりますかね。

会社員時代は、そのセンサーが活躍することもたくさんありました。

もちろん多くの失敗もしてきましたが、センサーを駆使して、この上司はこうすると喜ぶ、あの先輩はあれが好き、ということを察知し、それを実行すると、会社での評価もまずまず良くなりました。

上司からくそつまらないダジャレを言われても大笑いできるようになったし、そのダジャレを時々その上司に使ってウケを取ったりしてました。

その上司は深夜にうちまで車できて、ラーメンをおごってくれるようになりました。

会社員ならこういう例は山ほどあると思います。

しかし、この技はパワーを消耗しました。

目的が明確なうちはまだ良いです。

ベジータを倒す。とかね。

私は海外で働いてみたい、という強いモチベーションがあったので、その目標のために最初のうちは頑張れました。

しかし、頑張れる期間は限られています。

やろうと思えば、できる。

しかし、ここ一番の時しか使えない。

そんな技でした。

「持ってくれよ、カラダ。3倍界王拳だっ!!!」

みたいなことを会社員時代にやり続けていたというわけです。

多分これが疲弊しすぎてしまう原因だったのでしょう。

人との交流が多いとセンサーが過剰反応してしまう。

これをやればいいというのはわかってる。

でも僕はそれを、やりたくないんだ。

そして、疲れ果ててしまいました。

そこで、センサーがあまり反応しないところに行くことに決め、気づけば周りには人がいなくなりました。

以上の経験を通じて、孤独でもある程度でき、定期的に人間関係のリセットが可能な仕事が自分に向いているんだろう、ということがわかりました。

おそらくみなさんの中にも私のようなセンサーを持ち、日々会社で感じまくって辛い思いをしている方もいるでしょう。

私のように環境を変えるのは難しいとは思いますが、あぁ俺も私もそれなんだよな、、と思う人も必ずいるはずです。

同じような人がいると思えば少しは気が楽になるかもしれません。

人はそう簡単には変われません。

だから、その変えたいけど変えられないものとうまく折り合いをつけて生きていくしかないのです。

どうすればより快適に生きられるのか、時々考えてみるのも大切なことだと思いました。