生きるためのプログラム

時折自分がこうして存在していることが不思議に思うことがあります。なぜなら生命が誕生して私がこうして生きているということは想像を絶する勝ち組だと思うからです。

厳しい環境を生き抜き、生命を脅かす病気にも打ち勝ち、人間同士の過酷な戦いも潜り抜けた私たち。つまり、今生きている私たちは、生きるためのプログラムが最適化された選ばれし者たちなのです。つまり、簡単に死なないためのプログラムがインストールされています。

普段そのことに気が付くことはありませんが、あらゆる欲望は自分の生命を維持し、後世へ残すために必要なプログラムの一つだと捉えることができます。おなかが空いた、喉が渇いた、〇〇したい、という欲望は、たいてい自分が生きるために必要なことです。このような欲望がないと簡単に死んでしまいます。恐怖を感じるのも一つの生きるためのセンサーと言えるかもしれません。なぜ怖いと思うのか、その感情があるからこそ自分の身を危険から守ることができるのです。

しかし、普段水を飲むときも、食事をするときも、生きるために必要だなんて考えません。そのことが当たり前だと思う世界になってしまったことに少し危機感を覚えます。だから時には自分の生へのプログラムを確認するために、少し実験をしてみるといいかもしれません。

簡単に言えば、自ら死に近づくのです。

何を危険なことを言い出すんだと思うかもしれませんが、私の趣味の一つである超長距離走はまぎれもなく、確実に死へと近づく行為だといえます。

このような過酷な競技をしていると、人間の根源的な欲が何なのかという問いに迫ることがができます。競技中、身体は飢えや渇きや痛みなどのメッセージを通じて、身体の動きを止めようとしてきます。その行為を続けると生命の危険があることを身体は知っているからです。

つまり、人間の根源的な欲とは生きることです。

その欲がほかのどの種よりも強かったからこうして今でも生き残っているのです。

過酷な競技をしていると、身体は一生懸命生きようとしているということがひしひしと伝わってきます。「お前このまま続けると死ぬぞ」と身体が語りかけてくるように、あらゆる方法でメッセージを送ってきます。なぜ苦しいのか、痛いのか、空腹なのか、渇きを感じるのか。それはすべて生きるために必要なことだからです。

そして面白いことに、ある領域を超えると、自分でも信じられないような能力を発揮することがあります。これをよくランナーズハイとかゾーンに入るといわれることもあります。非常に抽象的で、感覚的ではありますが、あらゆる感覚が研ぎ澄まされて、自然と一体化していくような、疲れも痛みも何も感じない超越的な状態です。

そして、これは大昔私たちの先祖が自分の命を脅かすものから逃げるために備えられていたプログラムの一つなのではないかと思うことがあります。例えば、食料が尽きた状況でも自分の命を狙う獣から身を守るために長距離移動をしなければならなかった。そういう過酷な環境を乗り越えるために必要なプログラムこそが超長距離走で時折見られるランナーズハイなのではないか。

つまり、それができた種は生き残り、できなかった種は滅びた。

火事場のバカ力という言葉があるように、まさにそれは人間が死に近づいて初めて発揮できる潜在能力のことだと思います。いかにそれを通常の状態でも呼び起こすことができるのか。まるでドラゴンボールのような世界ですが、私が最近興味を持って取り組んでいる課題です。

みなさんも自分の肉体の声にもう少し耳を傾けてみてはいかがでしょうか。あなたがしたいと思う欲望は、古代のご先祖様から脈々とあなたに受け継がれてきたものです。それはあなたが生きるために必要なことです。それらを一つ一つ大切にして生きていくべきだと思います。