会社員を辞めたのは休み明けが辛かったから

私は10年くらいサラリーパースンをやっていたことがありますが、なぜ辞めたのかというと休み明けが辛かったからです。

世の中にこんな辛いものがあるのか、と思うくらい辛かったですね。

私は会社に行くと「目の前の世界が白黒になって悲しい気持ちになるDNA」を保有しているようなので、会社員という道を諦めざるを得ませんでした。

特に連休明けとか、トラブルを抱えたまま迎えた休み明けは最悪でした。

休みの日も朝目を覚ました瞬間、超高速で脳みそを回転させ「今日は仕事か?」と心拍数ブーストさせる日々を送ってきました。

そして「今日はやすみか、、」とホッと胸を撫で下ろす休日の朝。

ホワイジャパニーズピーポゥ

今思うと何がそんなに絶望的だったかよく分からなくなりますが、色々自分の性に合わないことがあったのでしょう。

長期契約とかが本能的に嫌いなので、それが一因だったのかもしれません。

休みに入る前は、どんなトラブルを抱えていても休みに入れば一瞬は忘れられる、という高揚感が感覚を麻痺させます。

このせいで休み前はどうでも良くなるのですが、休みの終盤が近づくにつれてより一層絶望的な気持ちになります。

あれもやばい、これもやばい、うわ、なんか変なメール送られてきた、うわ、みたいな。

連休になると生活のリズムが崩れがちで昼まで寝ていることもよくあります。

どうしても明日が来てほしくないから、連休最終日はつい夜更かしをしてしまい、一人で酒を飲み、翌日起きるのが余計辛くなるというスパイラルに陥ることもありました。

現実逃避をするために、夜映画に行くこともありました。近くに映画館があったので、日曜の夜にレイトショーを見に行っていたのです。

映画はなんでもよかったので、その時間にやっている映画を適当に見ていました。

現実から目を背けられればそれで良い、と。

日曜の夜って映画館結構混んでるんですよね。

人生あがった人たちとか、月曜が休みの人たちとか、はたまた同士たちか。

もしかしたら同じような現実逃避の映画をやっていたサラリーパースンの方もいらっしゃったのかもしれません。

しかし、毎週こんな思いをする生活をあと数十年も続けたくないなぁ、、、と思うようになりました。

我は何をやっているんだ。

せっかくの休みも後半は絶望的な気分になるし、日曜の夜にウィスキー飲みながら夜更かししたり、現実逃避の映画を見に行くなんて、おかしい。おかしすぎる。何かが間違っている、、、と。

ということで行動に移しました。

まずはお金です。

会社を辞めると定期収入が得られなくなるので、しばらくお給金がなくても生きていけるお金を貯めることにしました。

もともと投資には興味があり、経験もあったので色々な投資本を読んで米国株投資にたどりつきました。

幸運なことに海外駐在などでお金を効率的に貯めることもでき、幾度となる暴落を乗り越えながら奇跡的に投資を継続し、ある程度まとまったお金を貯めることができました。

継続は力なり。

それでも会社を辞めるのに十分な資産があるとは思えませんでした。上を見ればみるほど、キリがありません。

そこで、もうこの辺でいいかな、と「えい」とサラリーパースンを辞めてしまいました。

それが2018年の冬。

もちろん、会社員を辞めることが正解だとは思いません。もしあのままサラリーパースンを続けていたら別の人生が切り開かれていたかもしれません。

今頃結婚して、子供もいたかも。

いや、それはないか。

病院のベッドの上かもしれない。

しかし、会社員という看板を外した後の諸問題を傍に置いておけば、今の精神状態は会社員時代と比べればずっとマシになりました。

長期契約を解消したのと、休み明けが辛くないだけで、結構幸せになれたような気もします。

何かを得ようと思うなら何かを犠牲にしなければなりません。

休み明けの幸福を得たいなら、会社員というステータスを犠牲にするように。

おそらく私のように「毎日会社に行くのが辛いDNA」を持っている人はいるはずです。

私がブログを書いているのも「こんな生き方もあるよ、うまくいくかわからんけど、だからとりあえず落ち着こう」ということをお伝えするためです。

あまりにも辛いなら別の生き方を模索してみるのも良いでしょう。

みんなが行かない方向へ行くのは勇気がいるけれど、だからこそ多くの人がみることのできない景色を見ることができるかもしれません。

でもそういう苦しい歳月を無我夢中でくぐり抜け、大怪我をすることもなくなんとか無事に生き延び、少しばかり開けた平らな場所に出ることができました。

一息ついてあたりをぐるりと見回してみると、そこには以前には目にしたことのなかった新しい風景が広がり、その風景の中に新しい自分が立っていた。

気がつくと、僕は前よりいくぶんタフになり、前よりはいくぶん(ほんの少しだけですが)知恵がついているようでした。