しばらく旅に出ていたので日本のテレビを見る機会がなかった。年末に全くテレビを見なかったのは初めてではないかと思う。
だから今ディーガで撮り貯めた年末年始の番組を見始めている。まずは紅白歌合戦だ。
最近のNHKはクオリティが高くなっている気がする。
元々海外駐在時はNHKしか見れない期間があったから、ほんとに隅から隅まで見ていたし、朝ドラも毎日見ていた。(中国は時差が1時間あるからちょうどよい)
その時から比較しても面白い番組は増えているし、かわいらしいアナウンサーもたくさん出てきている。最近のお気に入りは林田アナだ。ブラタモリね。
脇道にそれてしまった。
言いたかったことは、紅白歌合戦を観ていておじさんは感動してしまったのだ。
音楽というものはなぜこんなに心に響くのか。おじさんになるにつれて心に響くようになっている気がする。下手すると泣く。
音楽に思いを馳せると同時にご先祖様にも思いを馳せる。
よくぞ音楽という素敵なものをこの瞬間まで引き継いでくださいました。ありがとうございます、と。
人間の進化の過程において不思議なことがある。
その一節を世界を変えた6つの「気晴らし」の物語【新・人類進化史】より引用しよう。
多くの考古学者の考えによると、私たちの祖先は10万年以上前から太鼓をつくっており、音楽の技術は狩猟や体温調節のための技術と同じくらい古い。
この年代配列は、初期人類史のとりわけ大きな謎である。槍と衣服からいきなり管楽器の発明に行くのは、欲求の段階を数段飛ばしているように思える。初期人類は文字や農業を思いつくようになる前に、音楽を奏でるための道具を作っていたのだ。
人間と楽器の歴史は実に興味深い。楽器を作ったからといって飢えを凌げるわけではない。
それでも楽器作りにこだわって、その音色に価値を見出す人たちが昔から一定数はいたということだ。
こんなやり取りがあったのだろう。
「おい、牛よ。そんな意味のないもの作ってないで少しは狩りでもやったらどうだ」
「熊さん、モー、おれは無理なんだ、狩りに向いてないんだモー」
「はぁ、お前に構っている時間がもったいないな、狩りにいってくるモー、あかん、うつっとるやないか」
「モー、これでいいのだ、これが牛の生きる道なのだモー」
数年後、、、
「最近はまったく獲物が取れない、、仲間もやられてしまった。このままでは。。。」
「♪♪♪♪♪♪~」
「なんなんだ、この音色は、う、牛よ、牛なのか」
「熊さん、僕にはこんなことしかできない。でもこれがいつかみんなの役に立つときがくると信じているんだ」
とまぁこんなことがあったと想像する。
だから音楽が残り、発展し、今でも多くの人が聞いて、感動し、心の支えとしている。
紅白歌合戦を観ながら感動したこの気持ち
ご先祖様が絶望の中で聞いた(と思われる)音色に感動した気持ち
言葉にはできないけどなぜか心惹かれる。そして心の拠り所となる。
それを大切にして残そうとしたご先祖様に感謝したい。
辛い時は音楽を聴いて乗り切ろう。