枕元に単語帳を

ちょっと変かもしれませんが、単語の勉強が好きです。

最近英単語を勉強し始めて、またその思いを強くしています。

英単語に目覚めたきっかけは、高校時代に遡ります。当時は野球部で丸坊主でした。毎日白球を追いかけていたんですね。

そんな状態だったので、当然勉強は二の次です。さすがに赤点を取ると部活に出れず補習となってしまうので、なんとかそれを阻止しようと最低限の勉強をする部員が多かったように思います。

赤点取ると鬼監督に情報が入って本当に酷い目にあいました。

その時僕は思っていたんです。今は野球をやってればいい、このフィジカルトレーニングをこなすことができれば、受験勉強なんかカスみたいなものだろうと。

でもね、たまにいるんですね、野球部を馬鹿にする連中が。僕はこれが許せませんでした。それでどうしたらこいつらを懲らしめることができるか考えたんです。

僕の高校は全学年統一の英単語テストがありました。年次は一切関わらず、上位者は得点の高い順にランクされて、全クラスに張り出されるシステムです。

今回の単語王はだれか?

定期試験毎にこんなテストが行われてたんですね。

これや!

僕は思いました。一番過酷な野球部が単語王になったら面白い。単語王になったら野球部を代表して、あの馬鹿にしたやつを馬鹿にしてやろう。

くくく、おもろ。

こうして僕の単語王への挑戦が始まりました。 

ちなみに当時使っていたのはターゲット1900です。

もちろん学習できる時間は限られているので、通学時間、寝る前の時間を単語学習にあてました。

枕元にターゲットです。

どんなに練習で疲れていようとも、ヒットが打てない日も、エラーした日も、股間にボールを当てた日だって、ターゲットを開かない日はありませんでした。

この時に感じたのは、どんなに絶望的な状況に陥ったとしても、うまく隙間時間を活かせば、それなりに勉強時間を確保できるということです。

片道20分の電車、さらに駅からの歩き10分、この往復で1時間の勉強時間を確保できます。

馬鹿にした連中への憎悪から僕はものすごい勢いで単語を覚えていきました。この学習法がそれなりに有効だったこともあるでしょう。

毎日続けることによる反復と睡眠前後の学習による記憶の定着。

そしてこの退屈な暗記が結構得意で、楽しかったこともモチベーションになりました。

単語を一つ覚えると、世界が少し広がる気がしました。この単語を知っていることで、今まで行けなかった世界に足を一歩踏み入れることができる。

そう思うととてもワクワクしたのです。未知の世界への地図を手に入れた気分です。

具体的な例は、ピッチングマシーンの英語のマニュアルが読めるようになったことです。

これには衝撃を受けましたね。今まで全く無意味だった世界が自分にとって意味のある世界に変わったのですから。

なるほどそういうことか。

勉強というのはそういうことなんだな。

単語を覚えれば世界が広がるように、知識を身につければ世界が広がる。

ドラクエで行ったところの場所が書き込まれていく地図があったけど、まさにそんな感じです。

この単語を知っていることで、あの人の言っていることや考えていることがもっと理解できる、そしてそれをまた別の人に伝えることができるのだ。

なんて素晴らしいのだろう!

と高校生の自分は感動していました。

高2でその境地に達していた僕にとって、単語王になることはそう難しいことではありませんでした。

ターゲット1900を僕の脳みそにインストールして初めて望んだ単語王決定戦。

「始め!」

開始を告げる合図とともに試験問題をめくります。

そこに広がった世界は、豊かな色彩を帯び、生き生きと躍動する単語たちで溢れていました。

完璧な手応えを感じました。

単語テストの答案は担任の先生から返却されます。当時の担任は、体育担当でサッカー部の顧問でした。

若い頃は凄かったらしいのですが、その時は既に引退後のマラドーナみたいになっていました。

この先生は単語テストを重視していて、このテストの点数が良いと返却前に握手してくれるのが慣例です。

これで他の生徒の点数の良し悪しがわかってしまいます。

握手だけでなく他のノンバーバルコミュニケーションを駆使してテストを返却していくので他の人のスコアバンドが掴めるというユニークな特徴もありました。

そして僕の番です。

「おい牛っ!早く来い!」

これは悪い得点のテンションです。

先生の前にいくと、ごつい手を僕の目の前に差し出しました。

僕も手を差し出します。

「ミシミシミシミシっ」

もう一本のごつい手がさらに僕の小さな手を包みました。

「バキバキバキボキっ」

「みんな聞いてくれ、牛が全校トップだ!」

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」

割れんばかりの歓声が教室内に響き渡り、気付くと僕の身体は宙に舞っていました。

単語王の栄冠を手にしたのです。

「牛よ、おまえすごいな、どうやったんだ?」

テスト返却後、僕のことを馬鹿にした連中に目をやると顔面蒼白です。陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクしているではありませんか。

塾にも通っていて成績優秀で通っている生徒たち。

彼らも上位ランクインはしているようですが、僕の足元にも及びません。

自分が馬鹿にしていた野球部に完敗した。

その心中は察するにあまりあるほどです。

It’s my turn.

心優しい僕は彼らに静かに語りかけました。

「やぁ、今回は運がよかっただけだよ。たまたま知っている単語が出ただけだからね」

今英検一級の単語帳を繰りながらそんな懐かしい思い出に浸っていました。あれから15年くらい立っているけど、今でも単語を覚えるのは楽しいです。

あの頃みたいに記憶力はよくないけど、未知への世界地図はまた少しずつ書き込まれ始めました。

枕元に単語帳を。

これだけで日々世界は広がっていくのです。