習慣化と依存症は紙一重

ランニングを習慣化できたと言うと聞こえは良いかもしれませんが、見方によってはそれは依存症かもしれません。走らないと気が済まない。私もこのような経験がありますが、習慣化と依存症は紙一重だと思いました。

NHKにこんな記事がありました。

趣味としておよそ10年にわたって続けているランニング。

年々走る距離が増え、毎日走らならいと気が済まないようになっていました。

「これはちょっと異常なのではないか?」

そう思って調べてみたところ、あることばに行き着きました。

「ランニング依存」。

走ることを愛してやまないランナーのみなさん、心当たりはありませんか?

ランナーのみなさんならドキッとする人が多いかもしれません。

ランニングが習慣化し始めるとほぼ毎日のように走るようになり、休むことに罪悪感を覚えるようになります。

疲れているときでさえ、今日頑張ればさらに記録がのばせるのではないか、と疲れた体にむちをうち、寒いときも、暑いときも走り続ける。ランニングのために人付き合いを多少犠牲にすることもあります。

ふとしたときに「あかんではないか」と立ち止まる。

NHKの記者とほぼ同じルートをたどった経験があります。

どうやら「ランニング依存症」というものがあるそうです。

(筆者)
「ランニング依存はどういう状態のことを指すのでしょうか」

(山口達也医師)
「過度なランニングによって日常生活に影響を及ぼしているかどうかが重要な基準になります。ただし人によって運動量が違うので、明確な診断基準はないんです」

依存の度合いを測るチェックシートがあります。

「依存症の傾向がみられる」基準となるラインは30点中24点だそうです。

これはランニングだけではなく日々習慣にしているものを当てはめてみてもいいかもしれません。

例えば、英語学習をしている人も気を付けないと「英語学習依存症」になっているかもしれませんよ。上記の「運動」を「英語学習」などに変えてみてください。

ギャンブルや買い物など特定の行動依存してしまう症例というのはあるようで、名前はついていなくても自分は〇〇依存症になっている可能性があります。

ランニング依存には二つの要因があります。

1つは運動によって多幸感が生み出されるカテコールアミン(ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンといった神経伝達物質の総称)が増えたり、βエンドルフィンが分泌されたりすることで、依存へとつながっていく可能性があること。
もう一つは、運動ができないとネガティブな気持ちになって離脱症状が起きてしまうため、その気持ちを抑えるために運動をやめることができなくなることです。

これめちゃくちゃわかりますね。

走ると気分がよくなりますが、あれは多幸感が生み出される物質のせいで、ある意味薬物中毒と同じではないかと思いました。

自家製なのでサステイナブルですね。

以前ウルトラマラソンの本で、海外のウルトラマラソンランナーの中には薬物中毒者だった人が結構いる、みたいなことを読んだことありますが、何か通じる部分があるのかもしれません。

運動しないことのネガティブな気持ちもよくわかります。しかし、これが地味に日々の生活の質を下げてしまうのです。

さらにNHKの記者は、ランニング依存を治療しようと試みますが、これがなかなかうまくいきません。アルコール中毒の治療のように徐々に量を減らしていくよう指示を受けますが、走り始めるといつもと同じ距離を走ってしまいました。

ちょっと怖いですね。でもめちゃくちゃよくわかります。

巷では習慣化の重要性を説く本や記事がたくさんありますが、これはある意味では人を特定の行動に依存させようとさせていることがわかりました。

私の好きなことばがあります。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

(やりすぎることはやり足りないと同様に良くない)

論語 (岩波文庫)

一見よさそうに思えることもやりすぎは禁物です。

ちょっとやりたいない位がちょうどよいのかもしれません。

ということで、依存症になるほど走っていないのに、ランニング依存症になることを恐れているのでした。

みなさまもお気をつけください。