私は22歳からサラリーマンをやってきたので、今年で10年半くらいサラリーマン生活を送ってきたことになります。我ながらよく続けてきたと思います。
そんなサラリーマン生活もようやく終盤に差し掛かりました。
自分の中ではもうこのあたりでいいかな、自分がやれることはもう十分やったかなと、きよきよしいというか、すごく気持ちの切り替えができている部分はあります。
先日久しぶりに両親と食事する機会がありました。
自分の父親はサラリーマン生活を全うしました。よくそんな偉業を成し遂げたなと畏敬の念を抱いています。父親は言います。
「俺の場合は転職する能力がなかったからな、昔は定年まで働けたから続けたけど。まぁでも今は時代が違うし、日本の行く先もよくわからないから定年まで働ける保証はないな、いろんな意味で」
母親にも自分が会社を明日にでもやめる可能性があることを常に伝えています。
「え、高給取りなのにもったいないじゃん。ははは。でもあなたの決断はいつも間違っていなかったわね。好きに生きたらいいわよ」
両親のいいところは、リベラルなところです。
「うーん、よくわからんけど、任したわ」的な雰囲気に救われることもありました。
そうなったのは自分がやると決めたことは確実にやりきってきたからということもあります。自分が言うのもあれですが、学生の頃から結果にコミットして親の信頼を積み上げてきました。
私が学生の頃、両親は勉強のことは何も言いませんでした。
勉強したら?位はたまに行ってきましたが、多少悪い成績を取っても怒られることはありません。一つだけ言われたのは浪人だけはやめてね、ただそれだけです。
私は独学で大学受験に挑みました。
文系では出題される内容をいかに効率よく覚えるかが重視されます。
だから、予備校講師から教わることは少なく、通うコストと手間を学習の時間に充てた方が有利だと思ったのです。
別に予備校に行ったからと言って行く度に単語100個覚えられるわけでもありません。
しかし、さすがに父親は「本当にそれで大丈夫か?塾の金くらい用意するぞ」と言ってきました。
「いやいいんだ、参考書を買う費用を負担してくれればいいよ」
そう言って私は自分の考えを押し通し、第二志望の大学に合格しました。
親はまず浪人しないことに安堵し、思ったよりも良い大学に進学してくれたことを素直に喜んでいるようでした。
結果にコミットした有言実行ぶりにも感心していたようです。
もう一つエピソードがあります。
実は私にはどうしても行きたい大学がありました。その大学は三年次編入という受験制度があり、試験を通れば三年次から編入できます。
私はまた両親に宣言します。
「〇〇大学の三年次編入を受けようと思う。国公立だから学費は安くなるし、もともと行きたかった大学だからね。この大学ならもっと高いレベルで自分のやりたい勉強もできる。もし落ちたら今の大学に行き続ければいいから、失うものはないよ」
こうして私はまた受験勉強に励みます。この試験は独特で英語の試験一本勝負です。
出題内容は、和訳、英訳、要約、エッセイで試験時間は3時間。
この試験問題に対応できる参考書はこの二冊しかありません。
徹底的にこの二冊をやりこんで受験対策してきました。身体を椅子に縛り付け、眠気に襲われたら氷水に顔をつけ、死ぬ気で勉強しました。
そして、高倍率を制し無事に合格できました。
震える声で母親に連絡し、母親の声も震えていたのを覚えています。
学費が減ることがそんなに嬉しかったのか、子供の成長?が嬉しかったのか分かりませんが、それなりに感動を与えることはできたようです。
ところで、もし英語の学習をしたい方は上記二冊はおすすめです。
幅広いジャンルの英文に触れることができますし、このレベルの英文を読みこなせればよほど専門的な内容でない限りは自力でどうにかなるでしょう。
要約問題も多いので、英文を読んで簡潔にまとめるスキルも身につきます。あとは専門知識と語彙だけの問題です。
そして私は切り出します。
「もうそろそろ会社辞めるかもしれない、会社に縛られている時間をもっと別のことに使っていこうと思う。学生時代は椅子に縛られていたけど」
「いいんじゃない?あなたがやると決めたことはやり切ってきたし、きっとこれからもそうでしょう。悔いのないように生きなさい。あなたを縛るものはもう何もないのよ」
最近両親に会う度に小さくなっているように見える。
まさにおじいちゃん、おばあちゃんになった。
身体も年を追うごとに衰えているようだ。父親はスポーティだが肩が痛くて治りが悪いと言うし、母親は背骨が折れたと言う。
おい、嘘だろそれ。背骨折れてたらうなぎ食えないだろ。
少々盛る性向があるが、エンターテイメント性は高い。しかし、本当に骨がもろくなってきており、折れやすくなっているらしい。
誰しも平等に年を取る。この世の定めだ。
「さて、そろそろ行きますか」そういって母親は財布を取りだし、支払いの用意をし始めた。
「いや、今日は自分がごちそうします」と私。
「え?いいよいいよ。たまにはごちそうするわよ」と母。
「そうか、たまには牛にごちそうになるか、金持ちだからな、ははは」と父。
「えぇ、お兄ちゃんの方ばかりお金かけてるからあなたにも少しはと思って。。」とそそくさと財布をしまう母。
一つ4,000円のうな重。それにビールと日本酒で15,000円也。
それで両親が幸せならなんと安いことだろう。
帰り際に母親は言った。
「あんた身体だけは気を付けてね。最近いろんなニュースあるでしょ、だからちょっと心配なのよね。元気であることが一番だからね。仕事なんか二の次でいいのよ」
「じゃっ、今日はありがとう、ごちそうさまぁ」
その声はいつもより高く、大きく響いた。
心なしか母親の目も潤んでいるように見えた。
「あぁまたね、気を付けて」
小さい二つの背中がさらに小さくなっていく。
あとどのくらい両親と過ごせるのだろうか。そういえばこれまで恩返しらしいことはあまりできていなかった。
これからは両親と一緒に過ごせる時間をもっと増やせるだろう。
牛の恩返しのはじまり、はじまり。