日本語で文章を綴るとき、文体や対人関係をうまく調整しても、なお避けて通れない問題があります。「文末問題」です。日本語はちょっと油断するとたちまち文末がそろってしまう。
冒頭は以下の本からの引用です。
やはり私も書き手として、ずっとこの問題には悩まされてきました。
牛ブログはなんか読みやすいな、と思うのであれば、それは文末が豊かだからかもしれぬ。
日本語は文末が単調になりがちです。
なぜなら、ですます調なら「す」、だ・である調だと「る」、過去形なら「た」で終わるからです。
だから、気を付けないと「すすすす」「るるるる」「たたたた」になってしまいます。
文末に悩んでいる方がいらっしゃいましたら、ぜひご一読をお勧め申し上げ奉り候。
本書は、様々な文献から生きた例文をたくさん引いているので、それを読むだけで勉強になります。
谷崎潤一郎、島崎藤村、村上春樹、志賀直哉、井上ひさし、太宰治、筒井康隆、開高健、などなど。
あぁこんな美しい文章を書く人がいるのかと、ハッと、ドキッと、させられます。
やはり名文に触れることが文末だけでなく、表現を豊かにする王道です。
そこで、どのような手法があるのかを整理するのに本書は最適な一冊といえるでしょう。
ここで私がいくつか美しいと思う文章を紹介してみたいと思います。
偉れた人間の仕事ーする事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものが何処かにある、それを眼覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。仕事に対する意思を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。一体何が響いて来るのだろう。
志賀直哉随筆集 (岩波文庫) P91 「リズム」より引用
私が大好きな一節です。まさに心地よいリズム。
次は谷崎潤一郎です。
人間が心に思うことを他人に伝え、知らしめるのには、いろいろな方法があります。たとえば悲しみを訴えるのには、悲しい顔つきをしても伝えられる。物が食いたい時は手真似で食う様子をして見せても分る。その外、泣くとか、呻るとか、叫ぶとか、睨むとか、嘆息するとか、殴るとか云う手段もありまして、急な、激しい感情を一と息に伝えるのには、そう云う原始的な方法の方が適する場合もありますが、しかしやや細かい思想を明瞭に伝えようとすれば、言語に依るより外はありません。
陰翳礼讃・文章読本 (新潮文庫) P125 「文章読本」より引用
これはです・ます調でありながら、「る」を織り交ぜるテクニックですね。
やはり名文を読むことは大変勉強になります。
文末の豊かさ、文章の長短が生み出すリズム。
私もみなさまをドキッとさせられるような、美しい日本語を繰り出せるよう精進したいと思います。