私は、毎日文字をノートに書いています。日本語、英語、中国語、それをノートに毎日書く事が日課です。
当初は、暗記を目的にやっていましたが、今はどちらかと言えば、書くことを楽しむ、または、マインドフルネスの時間になっています。
サラリーマン生活をしている時は、書く事から遠ざかっていました。
基本的にはパソコンで作業をするので、字を書くことは少ないです。テクノロジーの発展に伴い、字を書く習慣は減っているようにも思えます。
私は小学一年生の頃から、習字を習っていました。
当時、習字をやる意味は分かっていませんでしたが、毎週水曜日に家の近くの集会場に行って、字を書かなくちゃいけない、ということは理解して、毎週通い続けました。
先生に怒られるのが怖くて、泣いていきたくないとぐずることもありました。
普通に椅子に座ると机が高すぎてしまうから、パイプ椅子の上に正座をして書いていたことを覚えています。
かわいいですね。
そんな生活を幼少期に10年程送っていたため、集中して文字を書くという動作が身体に刷り込まれていきました。
そして、文字には美しさがあるということを理解しました。
文字の持つ美しさ、それは上手い下手とかではなく、その人が織りなす文字独特の芸術性に意識が向くようになっていったのです。
分かりますかね。
人が字を書くのを見ると、つい目が留まります。
おぉなるほど、この人はこういう字を書くのか。決して綺麗とは言えないけど、均整がとれていて小気味いいリズムだ。とか。
この人は外見だけではなく、文字も美しい。好きだ。とかね。
逆に、見た目と文字のギャップで人をハッとさせることもあります。
見た目がかっこ悪い人でも、とてもきれいな字を書くと、そのギャップにやられて恋に落ちる人すらあります。
もしかすると、綺麗な文字を書くことは、進化論的に何か有意なことがあるのかもしれません。
私もよく言われました。顔は不細工だけど、字は思ったよりも綺麗だね。とか。
文字は、芸術的な一面があります。
幼少の頃からの書く習慣のおかげで、字を書くたびに、あぁうまく書けた、とか、あぁ失敗した、ここをもう少しこうすればよくなるな。
などと今でも一人で試行錯誤しています。
しかし、この瞬間が嫌いではありません。
久しぶりにペンを取って、ノートに文字を書き連ねる。
最初は、ぎこちなかったけど、少しずつ若かりし日の感覚が戻ってきた。
文字を書くと、目の前のことに集中できる。
僕と文字との真剣勝負だ。
他のことは全てシャットアウト。
自分の内面の奥深くに沈み込んでいく。
とても静かだ。
この感覚に魅了されている。