「スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険」というご本を読みましたので、感想文を配信させていただきます。ご査収のほど、よろしくお願い申し上げます。
私の最近のテーマはスマホとの向き合い方ですが、スマホに多くの時間を奪われていることに危機感を覚えています。
スマホという注意を細切れに分散させることをサポートする装置のおかげで、私は集中すべき対象に集中できなくなってしまいました。
気づいたらツイッターを見始めて30分も経ってしまったなんてことが珍しくありません。
これはどげんかせんといかんと思い本書を手に取った次第です。
本書では、そんなスマホ時代をどう生きるべきかについての哲学的なヒントが書かれています。
この本は哲学の本なので、色々な哲学者の言葉が出てくるし、時折理解しにくい箇所も出てきます。スマホ時代を生きる上での明確な解決策を出してくれるわけでもありません。
しかし、スマホを手にした私たちがどのような状況に陥っていて、それにより何が奪われているのかについてじっくり考える機会を与えてくれるよい本です。
特に印象に残っているのは、ネガティブ・ケイパビリティについてです。
皆さんはネガティブケイパビリティという言葉をご存知ですか。
本書の定義を借りると「結論づけず、モヤモヤした状態で留めておく能力」のことです。
スマホ時代に生きる人々は、とにかく明確な答えを求めがちで、このネガティブ・ケイパビリティがどんどん衰弱しているように思えます。
モヤモヤがあることが落ち着かず、ついスマホで答えを求めてしまう。しかし、結局答えなんか見つからず、スマホから離れられない。
多くの人はそんな状況に陥っているのではないでしょうか。
私もまさにそんな気がします。
物事や経験の表層を撫でるだけしかできなくなり、深い思考がスマホによって妨げられているのではないか。
だから、もっとモヤモヤする時間をもつ、モヤモヤに対峙する勇気を持つことが大切です。
具体的には、本書にも書かれているように、何を作ったり、育てたりする趣味を持つこと。
その趣味を通じて、自分の外側にある謎なものと対面し、それとの対話が大切だと言うことです。
わけわかりますか?
これは、他者の経験を理解したり、未知を学んだりするときに必要とされる能力だと本書では言われています。
私は日々ブログを書きながらモヤモヤすることが結構ありますが、通じるところがあるなと思いました。株が下がってるからモヤモヤしているだけかもしれないけど。
もちろん、ただモヤモヤすればいいわけではなく、これはあくまで哲学を始めるスタート時点です。
そこまでは考えたことはなかった、と思ったところからさらにもう一歩踏み込んだところまで思考を深めていく。そんな読書体験ができました。
たまにはスマホを置いて、なぜ自分はこんなにスマホに囚われているのか思索に耽ってみるのもよいでしょう。
孤独を味わい、謎と対峙する。
興味がある方はぜひ読んでみてください。