サラリーマン時代の頃、なんか先輩とか上司から「もっとどんどん自分を出してこうぜ」的なことを言われましたが、全く意味がわかりませんでした。
僕は心に深い闇を抱えているので、それを包み隠すために常に演技を続ける必要がありました。
この演技が予想以上にうまかったようなのですが、反面何かこいつは人が良すぎるな、まだ本性を出していないなと思われることもあったのでしょう。
そんな僕を見て先輩や上司は言ってくるわけです。
「自分を出せ」と。
なんかこういうことを言う人って物事を深く考えていないというか、勢いだけの人という感じが個人的にはしてしまいます。
自分ってなんだ?しかもそれ出す意味あるのか?
出したら僕は貝になるよ。
デスクの下に隠れてしばらく出てこないよ。それでいいのかい?
「おい、牛君、君は何をしてるんだ?」
「自分を出してます」
このようにサラリーマン生活では、みなさん何かしらの役を演じているはずです。そんなこと当たり前です。それなのに「自分を出せ」ってナンセンスでしょう。
なんか別のキャラクター設定して演技するのも疲れるし。
もし僕が自分を出したらサラリーマンとして成立しません。
だから「自分を出せ」にはサラリーマンとして許容される範囲で「自分を出せ」なんでしょうね。
じゃあ「自分」じゃないじゃんって話です。
ちょっと細かい話かもしれませんが、なぜかこの「自分を出せ」コールにずっと違和感を覚えてきました。
「どんどん自分が思ったこと言ってくれたまえ。業務改善とか組織について思ったこと言ってくれ」
こんなこと言われても困ります。
「課長がいらない3つの理由」という論文でも提出すればいいのでしょうか。
かなり説得力のある作品ができそうな気がしますがね。
まぁこんなことにこだわってしまうのだからサラリーマンには向いていなかったのでしょう。
多分分かってくれる人はいると思うんですけどね。
「自分を出せ」と言われても出す必要はありません。ユーモアのセンスがある人ならデスクの下に隠れて定時まで出てこなかったらよいでしょう。